おもしろ昆虫記
(2)


瑠璃色って素適な色ですね(ルリボシカミキリ)

 土場という言葉知っていますか。山から切り出した樹皮が付いたままの丸太を一時的に林道脇などに積んで置く場所を言います。こんな所を数多く知っていると、たくさんのカミキリムシやタマムシに出会えます。樹種は針葉樹ではなく広葉樹の種々雑多な樹木が積まれていると最高です。彼らにとって土場は社交場であり、恋人を見つける場であり、産卵の場なのです。こんな土場でなくとも、炭焼き小屋や山小屋や農家の片隅に積んである蒔、シイタケ栽培に使うために一時的に積んである場所なども見逃せません。もっとも、真夏の太陽に直接当たっているような場所では、彼らも居心地が悪いらしく、日陰や半日陰になっているような場所がベストです。こんな所を見つけたら美麗なルリボシカミキリをたくさん見つけることが出来るでしょう。ルリボシカミキリは首都圏では町田市にもいますから、そんなに高い山々がそびえる山地ではなく、里山に近い低山帯の方が良いでしょう。また、切り出したばかりのものにもやって来ますが、やや朽ちかけた丸太も大好きなようです。ルリボシカミキリの名は、言わずと知れた瑠璃色の体色に黒く丸い紋から来ていて、この紋も個体によって様々な変化が見られます。褐色や黒褐色の丸太の上で瑠璃色は本当に目立ちます。
<1996年8月17日、群馬県六合村>

菱形が印象的です(ヒシバッタ)

 前述したノミバッタは畑の縁に多いが、ヒシバッタは畑にも田んぼにも雑木林の縁にも、時には雑木林の樹の幹にも見られる。体全体を上から見ると、ちょうどモモの節句のお雛様の壇上に置かれる菱餅の形に似ているから、誰もが見間違うことは無いであろう。しかし、その体色および斑紋の出方は様々で、体色は褐色、焦茶色、黒色、およびそれらの中間色まで様々で、斑紋は写真のように黒い二つの紋が左右にあるものが普通であるが、ぜんぜん無いものまである。昆虫写真家の今森光彦氏の本によると、鳥などの天敵は同じ模様の個体を集中的に食べるので、このような同種の個体変異は、絶滅を防ぐ意味で役立っているのかもしれないと書いてある。ヒシバッタもノミバッタと同様にバッタ科では無く、ヒシバッタ科として独立した科に分類され、日本には3属5種類の仲間がいるとある。この中で首都圏平地で見られるのは、羽が長いハネナガヒシバッタと羽の基部の部分が左右に刺となって突出するトゲヒシバッタである。また、本州の産地や北海道にはオオヒシバッタが生息しているという。ヒシバッタもノミバッタと同じく飛ぶことは出来ないが、負けず劣らずの跳躍力を有していて、人の接近には敏感で撮影をいつもてこずらせる昆虫である。
<1996年10月12日、横浜市緑区三保町>

畑が縁が大好きです(ノミバッタ)

 秋になるとサツマイモの畑の縁に良く出かける。別にサツマイモの畑でなくてはならない訳ではないが、乾燥したやや赤土に似た土壌の方が、各種のバッタやコオロギを見つけるのに好都合なのかもしれない。そんな畑の縁を歩いていると、無数とも感じられる小さなバッタやコオロギが逃げ惑って飛び跳ねる。昆虫に興味の無い方なら気にも留めないことと思われるが、ここで紹介するノミバッタやマダラスズ、ヒシバッタなどの小さな直翅目の昆虫たちだ。ノミバッタはその名にバッタと付くが、ショウリョウバッタやトノサマバッタなどのバッタ科ではなく、ノミバッタ科に分類されていて、日本にただ一種の昆虫である。写真を見て頂ければ分るように、後脚の腿節が発達していて跳躍力は抜群で、このためと小さい体がノミに似ているということで、その名が付けられたのだろう。また、前記したような場所が好みだから、土堀りが得意で、水に落ちると上手に泳ぐ。分布は日本全土であるが、地域によって生息数のばらつきがあるらしく、四国に住んでいる昆虫写真家の方は、東京に所用で主張して来た折に、ノミバッタを撮影して帰られた。このように首都圏で暮らしていると当たり前のように見られる昆虫も、様々な要因による生息の歴史を持っているようである。
<1997年10月27日、神奈川県川崎市黒川>

小さいから卒倒しないで下さい(コカマキリ)

 なるべく遅く登場させようと思っていたのだが、小さなカマキリだからご婦人も卒倒しないであろう。昆虫に興味を持っているご婦人でも、カマキリとゴキブリは苦手なようである。コカマキリはどうであるかは知らないが、交尾に近寄ったり交尾の済んだ雄を雌が食べてしまうという習性が知れ渡っているようである。また、カマキリの逆三角形の顔の形と睨みつけるような目に、ドラキュラ等を連想してぞっとするご婦人も多いようである。しかし、逆にカマキリの顔がとても可愛いというご婦人もいるのだから、世の中、人様々である。ここで紹介するコカマキリはその名のごとく小型で細身のカマキリである。主に写真のような禾本科の植物が茂っている草原や畑や田んぼの縁に多いようである。体色は緑色のものもいるが褐色の方が断然多く、草原に生息しているからには緑色の方が有利だと思えるのだが不思議である。コカマキリの特長は羽に黒褐色の小点が散らばり、前足基節に黒い紋がある。また、晩秋に産卵された卵がたくさん入っている卵のうはナメクジのような格好で、主にトタンや板に産み付けられている。こんな可愛いカマキリだが、素手でつかんで鎌で挟まれるとやはり痛い。食事中のコカマキリを観察したことがないが、どのような昆虫を捕食しているのだろう。
<1998年9月19日、神奈川県城山町穴川>

古い時代の生き残りです(テングチョウ)

 前述したベニシジミも日本に唯一種類しかいないと書いたが属のレベルのもので、テングチョウはより上位の分類の単位である科のレベルで、日本に唯一種類しかいない蝶である。世界を見ても10種類と少なく、蝶の中で最もたくさん化石が見つかり、古い時代に栄えた蝶なのではないかと言われている。テングチョウは漢字で書くと天狗蝶で、写真を見て頂ければ解るように、学術的には下唇鬚と呼ばれる頭部の鼻の様なものが前方に突き出ているのである。テングチョウは地域によっても異なるが、普通は年一化で初夏に羽化し、しばらく活動した後、秋に姿を見せてそのまま越冬するという、成虫(蝶)期間のとても長い蝶である。また、越冬した蝶が食樹であるエノキ、エゾエノキ等に産み付けた卵は、約一ヶ月間という短い期間で蝶になるという物凄いスピードで成長する。また、初夏に羽化したものは花に吸蜜することはなく、獣糞や動物の遺体等で栄養分を摂っているのを見かける。しかし、秋になるとセイタカアワダチソウやノギク等で吸蜜しているから、ムラサキシジミもそうであるが、越冬のためのエネルギー確保には花の蜜が一番なのだろう。写真は越冬後の日光浴のもので、比較的破損も少なく、しかも羽を開いてくれるので観察の好期と言えよう。
<2003年3月8日、東京都町田市小野路町>

タンポポが大好きです(ベニシジミ)

 私、こんな蝶を見たことないわ。なんていう方は野原へ出て遊んだことの無い方で、幸せ者と言ったら良いのか、不幸な人と言ったら良いのか考えてしまう。それとも、少しは気になっていたのだが、じっくり観察しなかったか、名前まで調べようと思わなかった方だろう。英名ではスモール・コッパーと言い、小さな銅色の蝶と呼ばれているベニシジミである。ベニシジミの幼虫はスイバやギシギシだから、野原が彼らの格好の住処で、そんな所はタンポポも多いから、ベニシジミのお食事はタンポポが第一と思えるほどに吸蜜している。ベニシジミは日本にはただ一種類しかいないが、何と世界には70種類もいるのだという。いつか大きな図書館へ行ったら、外国の蝶の図鑑を開けて欲しい。主な仲間はユーラシア大陸と北アメリカに生息しているから、フランスの蝶とかアメリカの蝶とかいう図鑑を開けば良いわけである。もちろん、外国に行くことがあったら図書館へ行って、蝶の図鑑を捲るのも楽しいことだろう。ベニシジミの発生期は3月中旬からで、その後、しばらくの休憩を挟んで、6月頃から秋遅くまで見られるから、近くの草原や河川敷、田園地帯へ出かけて欲しい。各種の花に吸蜜してたり、休んだりしている数多くの美しい姿に、きっと感動するに違いない。
<2002年6月8日、神奈川県中郡大井町>

バッタの王様です(トノサマバッタ)

 トノサマバッタを捕まえようとしたことがあるだろうか。もう少しで捕えられるという距離まで近づくと、飛び立って数メートル、時には数10メートル先まで飛んでいってしまう。とても手ごわい昆虫である。しかし、そんなトノサマバッタでも、至近距離まで近寄ることが出来るチャンスがある。一つは写真のように雄が雌に抱きついている時。こうなるとさすがのトノサマバッタも背の荷の重さのためか身動きが鈍くなる。もう一つは雌が地中に産卵している時である。そうは言っても慎重に近寄ることは言うまでも無い。トノサマバッタが見られる場所は、背丈が短い禾本科の植物が生えている草原である。私が良く行く観察場所は川原に隣接していて、村民のための運動広場になっている所である。おくやまひさし著「昆虫と遊ぶ図鑑」地球丸刊には、バッタ釣りが紹介されている。バッタの仲間はトノサマバッタばかりでなく雌に抱きつく習性を持っている。そこでバルサなどを削って色を塗りルアーを作るのである。釣竿に糸をつけてバッタルアーを結び、雄の前に垂らしてあげれば抱きついてくるので、労せずしてトノサマバッタの雄が釣り上げられるという寸法である。同書ではショウリョウバッタでの実験も紹介されているから、いろいろなバッタに試して見るのも面白そうである。
<1999年10月9日、神奈川県城山町>

キラキラ光って飛んでいます(カワトンボ)

 ゴールデンウィーク前後に雑木林に囲まれた細流や山間の清流で、雄(写真)は胸部が、雌は胸と腹が緑色に輝くカワトンボが現れる。弱々しく飛んで飛行上手とは言いがたい。それもそのはずで、トンボの仲間でも前後の羽がほぼ同じ格好のグループに属していてからである。写真は厳密に言うとただのカワトンボではなく、ヒガシカワトンボである。カワトンボは進化の途上にあるようで、国内でも多型があり、生息環境も相違していて分類学者泣かせであるが、一応、最新の図鑑によると、ヒガシカワトンボ、ニシカワトンボ、オオカワトンボの3種に分けられている。分布はヒガシカワトンボが本州中部以北、北海道。ニシカワトンボは関東以西、四国、九州。オオカワトンボは、分布域はニシカワトンボと同じだが産地は限定され、また、ニシカワトンボが山間の清流に多いのに対して、オオカワトンボは平地のアシなどの茂る清流に多いとある。ここで紹介するヒガシカワトンボは、山間の清流に多いのだが、平地の丘陵地帯にも生息している。しかし、自然度が高ければ必ずいるというわけではなく、分布が途切れ途切れになっているのは、謎多きカワトンボならではと感じさせる。写真は雄の羽が燈色のもので、透明なものもいて、雌はすべて透明な羽を持っている。
<1998年5月2日、埼玉県寄居町>

春1回には訳がある(コツバメ)

 桜の花がもうすぐ咲き出す頃、雑木林に囲まれた草原で、枯れたセイタカアワダチソウやススキの茎から、飛び立っては舞い戻り、飛び立っては舞い戻りする黒褐色の蝶に出会うかもしれない。ミヤマセセリと同じく春1回、蝶となって現れるスプリング・エフェメラルのコツバメである。コツバメが春1回蝶となって現れるのには訳がある。コツバメの幼虫の食べ物は何とツツジ科、スイカズラ科、ユキノシタ科、バラ科等の花や蕾なのである。蝶の研究家の牧林功氏によれば、狭山丘陵ではバラ科のイヌザクラの花や蕾を食べるとある。私が良く観察する場所では、ヤマツツジ、ヤマザクラ等がたくさんあるから、確認してはいないがこれらの花や蕾も食べているのだろう。こんな訳でコツバメの成長は、悠長なミヤマセセリと異なってあわただしい、花が散ってしまえば食べるものが無くなってしまうのだから、急いで食べて成長し、地面に降りて落ち葉の下で蛹になり、夏を秋を冬をそのまま乗り切って、春になると蝶となって飛び出して来るのだから、何だかいとおしくなる。ミヤマセセリが一生のほとんどを幼虫で過ごすのに比べて対照的である。そんなコツバメに出会ったら、そっと近づいてみよう。閉じた羽裏を太陽に直角に向けて、活動の為に身体を温めている。
<2002年3月17日、東京都町田市小山田緑地>

たくさんいるのに姿は見えず(アオマツムシ)

 首都圏では月遅れのお盆過ぎから、公園や街路樹や住宅街の植え込みの樹上から「リィーリィーリィー」と虫の声が降って来る。何がいるのだろうと関心を持たれた方は、ナチュラリストになれる資格を持った方で、ほとんどの方は関心を示さずに通り過ぎてしまう。鳴いている姿を探し出そうと懐中電灯片手に調べに行っても、どうしても正体がつかめない。アオマツムシは広葉樹に身を隠して鳴く天才なのである。アオマツムシは、東京、横浜、名古屋、大阪、福岡などの都市部周辺に、ごく普通に生息しているのだが、実は1898年(明治31)に東京の赤坂で初めて発見された、中国南部原産の帰化昆虫なのである。戦前は東京の夜の名物と言われる程に増えたが、都市生活が災いして、第2次世界大戦における空襲やその後のアメリカシロシトリの大発生に対する多量の殺虫剤散布によって姿を減じた時もあったらしい。しかし、1970年(昭和45年)頃より再び勢いを盛り返して、今では郊外の雑木林等でも普通に見られるようになった。もしこのアオマツムシを見たいと思ったら、秋が深まって木の上に美味しい葉が少なくなる頃、クズや低木の葉上、樹木の幹を注意して歩こう。じっと日向ぼっこしているのを発見するに違いない。なお、写真はアオマツムシの雌です。
<1996年9月21日、横浜市都筑区>

白樺林が似合います(キベリタテハ)

 まるでチョコレートの粉を羽一杯まぶしような、暗褐色の上品なビロード生地を持つタテハチョウである。ただそれだけでも美しいのに、羽の外縁は薄い黄色に縁取られ、その内側に瑠璃色の斑紋が沿うように並んで、上縁の二つの白紋が全体をより美しくきりりと締めている。こんなに美しい蝶にもかかわらず日本では切手になっていないが、ヨーロッパ各国で素晴らしい絵柄の切手が発売されている。このようにキベリタテハは北半球の冷涼な気候の地に生息する、動物地理学で言うところの全北区の蝶なのである。日本では中部地方以北の山地に生息し、北海道では平地でも見られるとある。この上品なキベリタテハの食樹は、ダケカンバやシラカバ等のカバノキ科やドロノキやオオバヤナギ等のヤナギ科で、8月に入ってちょうどお盆休みの頃から、シラカバ林が美しい高原に行くと見ることが出来る。キベリタテハは花にも吸蜜に訪れるとあるが、まだ見たことがなく、主にシラカバやダケカンバの樹液や獣糞に集まって来たものや吸水しているのに良く出くわす。また、日光浴が大好きで、写真のような地面や樹木の幹、山小屋の壁、林道の崖などで羽を開いている時がチャンスである。多くのタテハチョウ同様に、キベリタテハが羽を閉じていたら黒褐色でつまらない。
<1998年8月11日、群馬県鹿沢高原>

春一番のトンボです(シオヤトンボ)

 フィールドで親子連れの家族がこのトンボを見つけると、お父さんもお母さんも子供も「あ、シオカラトンボがいる」と言う。「違いますよ、シオヤトンボって言うんです」と教えてあげたいのだが、どう見たってシオカラトンボに見えるし、変なおじさんという目が返って来るのが関の山だから止めにしている。シオヤトンボは雑木林に囲まれた谷戸田に現れ、地方によっては3月下旬から出現するが、関東地方ではゴールデンウィーク前後に現れる春一番のトンボである。この頃はまだ気温が低いから、太陽で暖められた樹木の幹や杭や石などに止まっていることが多い。写真を見て頂ければ分るように、シオヤトンボの雄の尾端(上付属器)はほんの少し黒いだけで、その上はすぐに白っぽい水色の体色になる。シオカラトンボの雄は尾端(上付属器)は白で、その上の1cm位は青黒く、そしてシオヤトンボより青みが強い水色の体色となる。また、羽の付け根がシオヤトンボは黒くなるが、シオカラトンボはならないのである。このように雄同士なら見分けがすぐつくのだが、困ったことに雌同士となると図鑑片手に見極めないと判別が難しい。更に困ったことに、シオヤトンボの雄もシオカラトンボ雄も、羽化してしばらくの間は未成熟個体と言って、雌と同じ色のムギワラトンボなのである。
<1997年5月18日、横浜市緑区三保町>

ゆっくりゆっくり育ちます(ミヤマセセリ)

 一生涯の内で一番華やかな姿(花)を春に見せる植物をスプリング・エフエメラル(春植物)と呼んでいるが、蝶の世界でも春にしか現れないものをそう呼ぶようになった。具体的には植物だったら、カタクリ、フクジュソウ、イチリンソウ、ニリンソウ等だが、蝶ではこのミヤマセセリ、コツバメ、ツマキチョウ、ギフチョウ、ヒメギフチョウである。日本の蝶は約240種類と言われているから、ほんの一握りの蝶がスプリング・エフェメラルの蝶と言うことになる。しかも、ギフチョウやヒメギフチョウは遠い旅に出なくては出会えなくなったから、首都圏の雑木林でお目にかかれるのはたったの3種類となる。その中でもミヤマセセリは一番早く出現し、例年3月下旬から日当たりの良い雑木林やその周辺に現れる。セセリチョウの仲間にしては羽が広く、つんつんと飛び跳ねるがごとくに飛んでいるが、すぐに日向ぼっこに落ち葉の上に止る。しかし、ご覧の通りの落ち葉に紛れ込むような地味な配色だから、近づいてもなかなか発見できない。ミヤマセセリは2、3週間もすれば姿を消してしまうが、幼虫はのんびりゆっくりコナラやクヌギの葉を食べ、晩秋に枯葉とともに地上に落果し、翌年の早春に蛹になるという、気の遠くなるような長い幼虫期間を持つ蝶として特異な存在である。
<1993年4月17日、神奈川県秦野市弘法山>

夕暮れに飛んでいます(ホタルガ)

 横浜の埋立地の岸壁で釣りをしていると、魚が釣れ出す夕まずめに、黒地に白のストライプが印象的なホタルガが飛び出して来る。ホタルガは雑木林や農家の生垣のヒサカキに発生するものと思っていたのだが、海岸とも言える岸壁に現れたのだから不思議に思った。何処かにヒサカキの植え込みがあるのだろうか。ホタルガの食樹は、ヒサカキやサカキと書いてある。サカキは関東地方に自生していないはずだからヒサカキのはずである。ヒサカキもサカキも同じツバキ科の樹木だが属をたがえていて、関東地方で神事に使われるサカキと呼んでいるものはヒサカキが代用されている。しかし、岸壁の背後にはモッコクはあるもののヒサカキは見当たらない。モッコクもツバキ科で近い仲間だからそれを食しているのだろうか。その真偽は確かめていないものの、黒地に印象的な白帯を持つホタルガは意外と身近な蛾なのである。ホタルガはホタルに似ている蛾という意味で命名された。図鑑を見て頂ければ分るように、ゲンジボタルにしろヘイゲタルにしろ幅広い漆黒の羽と胸の紅色が印象的な甲虫である。ホタルガは胸ではなく頭部が紅色で良く似ているのである。ホタルガの発生は年に2回で7月と9月に現れ、昼間はヒサカキの葉等に静止していることが多い。
<1998年9月23日、横浜市港北区新吉田町>

羽は烏の濡れ羽色(カラスアゲハ)

 黒い蝶と言えばクロアゲハと覚えている方が多いが、美しさから言ったらカラスアゲハが一番である。写真をじっくり見ていただければ分るように、黒地に水色がかった緑色が浮き出ていて、光線具合によっては光り輝くのである。日本女性の美しく豊かな黒髪を「髪は烏の濡れ羽色」と言うのだそうであるが、このカラスアゲハの艶やかな色合いを見ると納得する。昔の人は黒いアゲハチョウのことを「鎌倉蝶」と呼んでいたようであるが、カラスアゲハは鎌倉蝶と呼びたくなるほど美しい。ゴールデンウィークの頃、渓流沿いの林道を歩いていると独特な臭いに包まれるが、カラスアゲハの主要食樹であるコクサギが開花しているのである。また、この頃、民家の垣根に咲くオオムラサキという赤紫の大きな花を付けるツツジが咲いていれば、カラスアゲハが必ずやって来る。また、その日がとても暑い日であるならば、渓流沿いの砂地や林道の水溜りに、雄が多数集まって吸水していることだろう。このように書くとカラスアゲハは山里の蝶と思われてしまいそうだが、カラスザンショウ、サンショウ、カラタチ等の里に多い柑橘類も食していて、お屋敷町などにも住んでいる。八丈島には緑の鱗粉がとても明るい「ハチジョウガラス」と評される亜種がいて、コレクターに人気が高い。
<1999年5月14日、東京都日の出町>

夏の盛りが大好きです(アブラゼミ)

 夏の盛りにジージリジリジリと鳴くアブラゼミは漢字で書くと「油蝉」、その名の謂われは油で揚げたり炒めたりする時に出る音に似ているからという説と、羽がミンミンゼミやヒグラシ等と異なって不透明の油紙のようだからという説がある。千葉県の印西町に住み里山の自然観察を続けているアメリカ人のケビン・ショートさんの「ケビンの里山自然観察記」講談社刊を読んでいたら、アメリカに生息する17年に一度だけ現れる周期ゼミ「17年ゼミ」の発生した年のことが書かれいた。本当におびただしい数のセミが現れて大きな声で鳴くのだそうである。そしてその翌年から17年経つまで一匹も現れないのだから不思議である。セミは地中で栄養分の少ない樹木等の根から木の汁を吸って育つのだから、成虫になるまで途方も無く長い年月が必要となる。日本のセミも成虫になるまで2〜7年かかるものの、有り難い事に周期ゼミのように長くは無く周期性も無いから、毎年セミが見られるのだから素晴らしい。ちなみにアブラゼミは満5年で地上に現れる。もっともサトウキビやアロエ等の栄養価の高い植物で育てると、最短2年で成虫になると言う。それにしても日本のセミが周期ゼミだった大変だったに違いない。写真を撮るのに何年も待たなければならないのだから。
<2002年8月16日、横浜市戸塚区舞岡公園>

歩き専門の昆虫です(アオオサムシ)

 漫画家の故手塚治虫氏が大好きな昆虫で、ペンネームの「治虫」はオサムと読むのではなくてオサムシと読むのだと何かの本に書いてあった。アオオサムシは首都圏平地で最も普通のオサムシで、あと数種類のオサムシが生息するものの見る機会はほとんど無い。越冬前後のおなかを空かしたオサムシは昼間でも路上を歩いているが、本来、オサムシの仲間は日中は落ち葉の下や土の中で身を潜め、夜になるとミミズやその他の虫を食べに歩き回る夜行性の昆虫だからなお更である。オサムシの多くは羽が退化していて飛べない歩き専門の昆虫で、このため山や川や海を越すことが出来ないから多くの地理的変異を生じて、雄の生殖器を見比べなければ判別できないというアマチュア昆虫大好き人間には困りものである。地域に生息するオサムシを調べるのには2通りあって、紙コップにカルピスまたは魚肉ソーセージを入れて地面すれすれに埋め、夜に餌を探して歩き回って紙コップに落ち込んだオサムシを調べたり、冬期に路肩や朽木で越冬するオサムシを掘り出して調べる方法が普通である。前者を昆虫仲間では「オサトラップ」、後者を「オサ掘り」、書き忘れたが、U字構に落ちて出られなくなったオサムシを拾うのを「オサ拾い」と言うのである。
<2002年4月11日、横浜市戸塚区舞岡公園>

悪食家ですが憎めません(マメコガネ)

 何処でも普通に見られる小さいコガネムシ(黄金虫)で、その名もずばりのマメコガネである。コガネムシの仲間は、刺したり噛んだり挟んだりしない平和な菜食主義者であるが、何でも食べる農家の嫌われ者でもある。夏にムクゲの花が満開となって写真を撮ろうとすると、花弁をかじって穴を開けてたりしてがっかりする。しかし、何と言ってもマメコガネを語るに当たって、アメリカでの猛威を紹介せねばならないだろう。1916年にニュージャージー州で最初に発見されたマメコガネは、天敵皆無の向かう所敵無しの北アメリカ全土に広がって、ムギやマメ等の農作物は言うに及ばず、果樹や花壇の花等を片っ端から食べて、何と約300種の植物を加害したそうある。アメリカ人は憎しみを込めてマメコガネのことを「ジャパニーズ・ビートル」と呼んでいる。しかし、現在では天敵のマメコガネヤドリバエ等がアメリカの昆虫学者の手で発見され、この大惨事は沈静化しているようである。日本でも昆虫ではなく魚だが、ブラックバスやブルーギルが猛威を振るって、在来の魚やエビを食い荒らしているが、これらに対する天敵はいないようで、農業などの経済的な損失はないのだが、自然好きにとっては、それこそ「アメリカン・フィッシュ」と呼びたい位の憎き外来種である。
<1996年7月29日、山梨県塩山市柳沢峠>

巣に近づかなければ安全です(オオスズメバチ)

 里山の自然観察で最も恐れられているのがマムシとスズメバチである。しかし、カメラ片手の自然観察を復活して15年目に入るが、スズメバチに襲われたという経験は無い。私が知っている限りでは、長年撮影を続けている昆虫写真家の方々がスズメバチに刺されたという話は聞いていない。もっとも、キノコ採りや山芋堀りが趣味の知人は、刺された経験があると言っていた。普通の人が入らない藪を分け入って行くのだから、刺されても当たり前かと思う。樹液酒場にやって来る各種の昆虫を見に行くと、必ずスズメバチはつきものである。ここで慌てても仕方が無い。樹液に来ているスズメバチは観察に来た人間を察知しているのだが、女王の生んだ子供たちの世話で構ってられないと言った風情である。だから、至近距離で悪戯したら分らないが、2メートル前後近寄っても襲って来ることは無い。ただ、雑木林の小道でスズメバチが数匹飛んでいたり、大顎をカチカチ鳴らしながら近づいて来たら付近に巣があるのだから、おとなしく後ずさりして退散しよう。写真は胴体が女性の小指くらいの太さもあるオオスズメバチで、樹液を吸い集める専門の働き蜂が運搬専門の働き蜂に樹液を口移している所の写真である。
<1997年7月30日、神奈川県平塚市土屋>

強い女房に従います(オンブバッタ)

 自慢じゃないが女性と腕相撲をして、もう2回も負けている。相手が柔道やレスリングをやっている特別な女性という訳ではなく、ただスポーツウーマンの美人さんである。そんな訳でもう2度と恥をかかないように、腕っぷしが強そうな女性に会うとただ微笑みを投げかけるようになった。こんな力の無い夫で女房の介護など出来るのだろうか? 「火事場の馬鹿力」などという諺があるのだから、何とかなるに違いない。昆虫界では女性のほうがたくましいのが普通である。雄は雌に種付けを済ませれば、後は野となれ山となれのケセラセラで、大した役には立たない存在なのである。例えば、スズメバチやアシナガバチ等では、最後の最後、もう越冬間近の新女王が誕生する時にだけ、精子パックを渡すために雄が生まれて来るという寸法である。ここに登場したオンブバッタは、たいがい一回り大きい雌の上に雄がおんぶして貰っている。別に交尾をしている訳でもないのに、じっと雌の背に乗っているのである。これは私の勝手な想像だが、もし小鳥などの天敵が現れたら、動きが鈍く飛ぶのも下手なオンブバッタはすぐに食べられてしまうだろう。そこで、おんぶしている用済みの雄を小鳥に差し出すのではあるまいか。賢い女性は、いつも男をたてると言うではないか。
<1999年10月25日、神奈川県城山町八菅山>


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