(53)冬が忘れずにやって来た
12月に入って暖かい日が続くので今年は暖冬なのかなと思っていると、冬至まであと数日と迫った半ばに入って、急激に気温は低下して木枯らしが吹きすさむ日が連日続くようになった。霜も毎朝真っ白に降り、ザラメのような細かい結晶を葉の上に作る。水溜りは凍り、霜柱が柔らかい畑の土を盛り上げる。立秋から始まった秋が、様々に変化する自然絵巻を繰り広げながら続いて来たが、どうやらフィールドとしている多摩丘陵南部では12月10日前後をもって終了した。日本列島を駆け巡る四季を操る気圧配置は、多少のズレがあっても巡り巡って確実にやって来る。こんな単純な何億年となく繰り返されている変化を、いつも新鮮な驚きをもって感じられるのは、野山を駆け巡って自然と接しているからに違いない。こういう意味においても、ただ気温の低下を持ってしか冬と感じられないような味気ない生活ばかりしていないで、思う存分四季の微妙な変化を味わえるウィークエンド・ナチュラリストに少しだけでもなって欲しい。
前項で紹介した今年最後の日向ぼっこを楽しんでいた昆虫たちも、それぞれがそれぞれの仕方で、春になったら次世代が誕生するのを楽しみして生命を終えたり、成虫のまま冬越しする昆虫たちは好適な場所を見つけて深い眠りに入ったことだろう。この時期には目にすることの出来る花も少なく、農家の庭先や花壇には花ではないがハボタンやサザンカ、咲き遅れたのだろうかキミガヨランも咲いている。カラタチの葉はすべて落ちて、黄色く色づいた実が僅かに侘しく残っている。しぶとく咲き残っていたセイタカアワダチソウやリュウノウギクも霜と寒風に痛めつけられてしおれてしまった。それでもフィールドの良く日が当たる場所には、気の早いオオイヌノフグリやホトケノザがほんの僅かだが咲いている。2ヶ月もたてば早春の光の中で咲き競うことだろう。
谷戸奥に一本ある葉をすべて落とした柿の木に、鮮やかに色づいた実が鈴なりなっている。恐らく渋くて鳥たちも遠慮しているのだろう。今日は冬至も近いこともあってユズを収穫する姿が各所で見られた。年老いた農家のお爺さんが、道端でユズを籠一杯にしていたので『ユズには虫がつかないですね』と、いつもアゲハチョウの仲間の幼虫を探していて感ずる質問をしてみた。ミカンやカラタチにはアゲハチョウの幼虫がたくさんつくのだが、ユズやナツミカンにはほとんど見られない。しかし、どうやらお爺さんは勘違いをしたらしく『鳥も味を知っていて甘くならんのは食わんし、甘くなるやつは甘くなるまで待って食うんだ』という。そう言えば、完熟するまで待って食べようと残して置いた家の富有柿が、十日程前にスズメやヒヨドリにすっかり食べられてしまった。その話をお爺さんにすると、カキやミカン等の果実ばかりでなく、トマトやスイカ等のほとんど全ての農作物が熟して甘くなって鳥の被害に会うのだという。『じゃ、鳥がつつく前が一番の食べ頃というわけですね』というと、『そういうことだ』とお爺さんは笑って言った。きっと谷戸奥の柿はそうとう渋いのであろう。
雑木林の木々の葉はほとんど葉を落とし、真っ青な空に陽を浴びて梢が光って突き出している。葉があるときには見つけることが難しかったウスタビガの緑色の空繭も、簡単に見つけることが出来るようになった。遠くに見える丹沢もうっすらと雪化粧をして、その向こうの富士山は真っ白である。あっという間の一年のようであったが、新鮮な驚きを伴った様々のことがあった。また、年が明ければウィークエンド・ナチュラリストの活動は始る。来年はどんな出会いが待っているのだろうか。
<写真>霜が降りた丘の上の畑、箱根の山への落日、霜が降りた草の葉、霜柱の上の枯葉、ウスタビガの空繭、キミガヨラン、ハボタン畑、カラタチの実。