(5)春こそ一生涯の檜舞台
《ギフチョウ・ミヤマセセリ・コツバメ》



 山野草や昆虫が好きで、毎週末、野山を散策するウィークエンド・ナチュラリストにとって、特別な響きを持つ言葉ある。『スプリング・エフェメラル』とい言葉だ。スプリング・エフェメラルとは、本来、春植物のことを指しているのだが、春の一時だけに生涯の最も美しい姿を現す動物も含めて呼ぶ場合も多くなった。長く厳しい冬が終わって待ちに待った春がやって来ると、落葉広葉樹の固い芽は開いて、新葉ですっかり空が塞がれるまでの間、林床に太陽の光がたっぷりと降り注ぐ。この約1ヶ月余りの短い間に、芽を伸ばし葉を広げて光合成をし、花を咲かせ、実を実らせる植物がある。代表的なものとしてはカタクリ、アマナ、イチリンソウ、ニリンソウ、キクザキイチゲ、セツブンソウ、フクジュソウなどである。蝶の中にも春のこの一時に、生涯の最も美しい姿(成虫)となって飛び出るものがいる。ギフチョウ、コツバメ、ミヤマセセリ、前述したツマキチョウなどである。
 特にギフチョウは愛好家から『春の女神』と呼称され、桜の開花と時を同じくして現れ、桜が散って行くとともに姿を消す。今でこそ遠くに出かけなければ観察出来なくなったが、1960年代には東京の高尾山から多摩丘陵の北部東丹沢にかけて多産していたのである。ちょうど日本の経済の転換期がこの年代から始まり、自然と協調し自然からの恵みを大切に利用してきた時代から、大都市への人工集中を伴った石油化学に代表される高度な工業化社会が出現したのである。落枝落葉による作物への施肥から化学肥料へ、薪炭の利用から石油エネルギーへ、それは荒れるにまかせた森林を生み出した。しかも、広大な緑地は宅地や工場用地、ゴルフ場開発などによって、面積そのものまでもが失われて行った。すなわち緑の質と量が両面から急激に減少したのである。これからの21世紀、日本だけではなく地球レベルで、いかに失われ傷ついた緑を回復し、人と自然とが仲良く共存するかが問われて行くことになるはずである。
 現在、ギフチョウが確実に観察できる首都圏から一番近い場所は、厳重に保護管理が行われている神奈川県藤野町を除けば、新潟県や山形県になってしまった。人の暮らしに多大な影響を及ぼす冬の積雪が、ギフチョウの食草であるカンアオイの生育を良好にしているようである。雪が深く雪解けに時間のかかるこれらの県では、5月のゴールデンウィークの前後が発生期で、時を同じくして、首都圏では希少種となったカタクリが各所に群落を作って満開となる。スプリング・エフェメラルの代表的な植物であるカタクリに、スプリング・エフェメラルの代表的な蝶であるギフチョウが吸蜜に訪れ、やって来た春の喜びが鮮明に繰り広げられている。
 少しばかり金持ちになって快適で贅沢するより、毎年、春が鮮やかに繰り広げられる方が大切だと思うのは、決して私のような一部の人間だけの切ない願いとはもう誰も言えまい。


<写真>ちょっと一休みのギフチョウ、日光浴をするミヤマセセリ、カタクリに吸蜜するギフチョウ、テリトリーを張るコツバメ、新潟県の主なギフチョウの食草であるコシノカンアオイ、コシノカンアオイに産み付けられたギフチョウの卵。


つれづれ虫日記(6)へ


つれづれ虫日記INDEXへ