(12)胸がわくわく血がたぎる


 いよいよ待ちに待った啓蟄の日がやって来た。季節は連綿と続いているのだからウィークエンド・ナチュラリストの一年に暇という字は何処にも無いし、生命あるものに一年の始まりをここからと決めつけるのも難しい。しかし、長く厳しい冬の眠りから多くの生命が目覚める啓蟄と聞くと、胸がワクワクとして血がたぎるのだから、この啓蟄の日をもってウイークエンド・ナチュラリストの一年間の本格的な活動の開始の日とし、同時に生命あるものの一年間の開始と言っても誤りはなかろう。
 年によっては雪が降ることもあるが、啓蟄に前後して定期的に雨が降るようになる。冬の乾燥と寒さに身を屈めていた樹木の冬芽も、雨によってようやく弛んで来たようである。雑木林を見上げると冬の青空に見られたような凍て付いた梢は何処にも無く、何となくもやった暖かさが周りを取り巻いている。花粉症でお悩みの方には困った季節となったのだろうが、前述したニワトコやネコヤナギはすっかり花が咲き、休耕田のイヌコリヤナギの真っ赤な堅めの綿帽子も弾け、初夏になると食べられ可愛らしい実をつけるウグイスカグラも咲き始めた。日当たりの良い農家の庭先のアジサイの芽は開き、伸び始めたラッパスイセンや田んぼの際のヤブカンゾウの芽は、あらゆる生き物の希望に満ちた成長力を象徴するがごとくに力強くて頼もしい。
 先週末、電車を降りて駅から商店街を抜けて家路に着く時“明かりを点けましょ雪洞に、お花をあげましょ桃の花”と、世知が無い現代には不相応なのかもしれないが、私にはとても新鮮に聞こえる懐かしいゆったりした子供の歌声が聞こえて来た。今日、花桃の畑を覗いてみたら、枝が奇麗に刈られているものが各所にあった。蕾はようやく膨らみ始めたのだから、ひな祭の前に刈り取られた枝は、温度をかけて開花を早めさせたのに相違ない。昔はその年々によって変化する陰暦の3月3日にひな祭が行われたのだから、ちょうど桃の花の満開とぴったり一致した年も数多くあったに違いない。ひな祭の起こりについて詳しく調べてはいないものの、生命あるものが目覚めるこの時期に行われることと、何らかの結びつきがあるのだろう。
 明日は天気予報によると雨と言うことである。先週末にフィールド一杯に満ちていた梅の香りに負けてはならじと、雨の前に良く匂うと言われるジンチョウゲの甘い香りが漂って来る。春の訪れをいち早く私たちに香りで知らせるジンチョウゲは、江戸時代に中国から渡って来たと言われ、花びらに見える部分は実は萼である。ジンチョウゲ科の樹木としては和紙の原料となるミツマタが有名で、ともに半球形の花の形と強靱な樹皮が特徴である。出来れば差しさわりの無い所で、和紙の原料となるミツマタやジンチョウゲ、科は違うがコウゾの小枝を手で折って見ると良い、強靭な皮がついているために、他の樹木と異なって切り離すのに相当苦労するはずである。あまりお勧めは出来ないものの、何故に和紙の原料となるかがすぐに合点がつくことだろう。
 以前、家の庭のジンチョウゲが工事のために根元から折れ、これは困ったなと思った職人さんが土に差し込んで行ったのをそのままにしておいたら、見事に根が出て花を咲かせるようになった。ジンチョウゲは挿し木で増やすというが、それを実証したことになる。このようにたやすく増やせるのだから、学校で挿し木の実験も兼ねてジンチョウゲをたくさん増やせば、良い香りが漂う学校が各所に出現することになるだろう。もっとも、この臭いが嫌いという方もいらっしゃるようで、ことによったら近所からクレームが数多く来るのかもしれない。まったく一筋縄では行かない世の中である。












<写真>春めいた空の舞岡公園の火の見櫓、平塚市遠藤原の畑、膨らみ始めたサンシュユの蕾、良い香りを漂わせるジンチョウゲ、有毒でも美しいアセビ、目に染みる朱色のボケ、小野路町のウグイスカグラ、小山田緑地のヤブカンゾウの芽吹き、ツルボの芽吹き。

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