(16)ギフチョウを見つけに


 もう10年以上も続けていると、初めの頃に比べてそわそわしなくなったが、花期が遅い多摩丘陵の谷戸奥の山桜も満開とり、コブシも散り始めたのだから、ギフチョウを見に行かないと落ち着かない。ここ10年間に一頭も見られない年も数回あったが、見ようとして出かけただけで心は落ち着くのだから本当に不思議である。きっと、春の女神“ギフチョウ”は、蝶ばかりでなく昆虫に興味を持つものにとって、本格的なシーズン入りを告げるシンボルとなっているようだ。
 肌に優しい春の陽が差し込む生息地には、雑木林の林床にタチツボスミレやヒトリシズカ、ミツバツチグリ、クサボケやシュンラン等が咲いて、小さな茶褐色のミヤマセセリやコツバメがリズミカルに飛び、時折、成虫で越冬した前述したルリタテハやアカタテハ、ヒオドシチョウが悠然と日光浴に現れる。見晴らしの良い少し高くなった日だまりにある切り株に腰を下ろして、春の女神を待ち続ける気分は最高である。それは遠い昔のこととなってしまったようだが、初恋の人との待ち合わせのような、わくわくとする高ぶりを伴った何とも言えぬ熱い思いに通ずるようである。
 ギフチョウは江戸時代の書物や襖絵にも登場するように、かなり古くから美麗な蝶として注目されていたようである。その頃は羽の紋様からダンダラチョウと呼ばれ、和名であるギフチョウは、岐阜県の錦華山辺りで採集されたことに由来しているようである。ギフチョウは本州特産種で、四国や九州には生息せず、太平洋側では高尾山が最東端で、日本海側では鳥海山が最北端となっている。それより北になると東北から北海道まで、中部山岳にも生息する近縁のヒメギフチョウが分布している。ヒメギフチョウは朝鮮半島やウスリー地方にも亜種が分布し、中国にはシナギフチョウ、オナガギフチョウが生息し、東アジア特産のギフチョウ属は合計4種類ということになる。ギフチョウはアゲハチョウ科に属しているが、私たちに馴染みの深いキアゲハやクロアゲハ等(アゲハチョウ亜科)とは、だいぶ古い時代に袂を分けたらしく、ウスバシロチョウ亜科の仲間で、ウスバシロチョウ属にとても近いグループである。その証拠に、両種とも雄が交尾している最中に、雌が再び他の雄と交尾できないように受胎嚢というセロハン状のものを着けてしまう。
 ギフチョウと言えば忘れられないのが、食草のカンアオである。我が国にはカンアオイ属の植物は約35種類が知られ、この他にも変種が相当あるという。徳川家の葵のご紋も、同じ仲間のフタバアオイから図案化されているのは有名な話である。このようにカンアオイの種数の多い理由は、植物学者の前川文夫氏が“1キロメートル分布するのに1万年”かかると言っているように、気の遠くなるような遅い分布速度にあるようだ。これでは地殻変動に追いついていけないばかりか個体群間の交雑頻度も減少して、地域ごとの固有種が生じ易くなってしまう。昆虫の中にも羽がな
くて飛べないオサムシやフキバッタの仲間は、素人にはお手上げの微妙な差異で多種類に分かれている。









 こんなに種類の多いカンアオイであるが、ギフチョウにもどうやら好き嫌いがあるようで、昆虫写真家の海野和男氏によると、多摩丘陵には北部にランヨウカンアオイが南部にはタマノカンアオイが分布しているが、後述するようにかつて多摩丘陵にギフチョウが見られた頃、ランヨウカンアオイが分布している地域の方が、タマノカンアオイばかりの地域よりギフチョウが多く見られたと言う。美味しいカンアオイがあれば、そちらの方を主な食草としているというこのような例は、この他にも各地から報告され、様々な角度からギフチョウとカンアオイの関係がアマチュアによって研究されている。
 上記した、カンアオイが気の遠くなるような遅い分布速度でしか繁殖できないのは、アリによって種子が運ばれるアリ散布の植物であるからである。カンアオイの種子にはアリが好むエライオソームと呼ばれる付属物があり、アリは種子を見つけると、せっせと自分の巣に運びこもうとするわけである。巣の中に運ばれた種子はエライオソームを食べ尽されると、巣の外に放り出されるか、巣の中のゴミ溜に捨てられることになる。また、運んでいる途中で種子が何かに引っかかったりすると、エライオソームだけを食べてその場に見捨ててしまう。このようにしてカンアオイは、アリに手伝ってもらって分布を広げるのである。
 また、種子が芽生えてから結実可能に成長するまでに約10年の長い歳月が必要で、“1キロメートル分布するのに1万年”かかってしまうのである。タンポポの種子なら風に乗って1キロメートル先に到達するのに、30分とかからないだろうから、この数字は途方もない悠長さであると言えるだろう。このようなアリに種子散布を手伝ってもらい、その代わりにご馳走を振る舞うという相利共生の関係を結んでいる植物はとても多く、スミレ属やキケマン属の植物やカタクリやスズメノヤリ等、相当な種数に上るようである。
 今までギフチョウの観察地としていた静岡県の富士川流域のギフチョウが見られなくなったこともあって、地元の『ギフチョウを守る会』の方々の熱心な保護活動を知っていたので、少しでも環境を悪くしてはと思って出かけることを控えていた神奈川県藤野町の石砂山へ行って来た。期待にたがわずギフチョウが何頭も飛来して、パトロールの地元の保護員の方に“お陰様でギフチョウに会えました”と心からお礼を述べられたことがとても嬉しかった。今から30年以上も前のことになるが、ギフチョウは高尾山から現在の多摩ニュータウンのあたりを経て、東丹沢から大山にかけて広く分布していた蝶なのである。ことによったら、冒頭の谷戸風景のような町田市の中部の多摩丘陵の谷戸や丹沢の大山につながる丘陵地帯にも生息していたに違いない。しかし、高尾山では1969年頃を境に自然発生のギフチョウは見られなくなり、東丹沢から大山にかけてのギフチョウも、その頃姿を消したようである。富士箱根火山帯に分断されて関東地方の西南部に生息していたギフチョウの子孫が元気に飛んで、タチツボスミレに吸蜜している姿や太陽に向けて一杯に羽を広げて暖を取る姿が見られるのは、『ギフチョウを守る会』の方々の熱心な保護活動があってのことなのである。
 ギフチョウの消滅の原因は、各種の乱開発や杉や檜といった金になる木の植林、それとは全く逆の森林管理の放棄や一部マニアによる乱獲などに原因があるとされるが、いづれにしても経済効率一辺倒の拝金主義が支配する競争社会が作り出した日本人の荒んだ心が元凶なのではなかろうか。21世紀は人と自然が仲良く共存して行く時代であると言われている。年に一回、桜が咲くと固い蛹から解き放たれて可憐に舞うギフチョウ、繁殖力の弱いカンアオイ類だけを食草とするギフチョウ、人里から深く入った山の尾根でひっそりと生きるギフチョウを見つめていると、今なお続いている経済最優先から離れた世界にも、確かなる人の幸福はあるという思いを強くする。健康で足腰がしっかりしている限り、毎年、石砂山のギフチョウに会いに来ようと心に誓って帰路についた。










<写真>ヤマザクラの古木が咲いた町田市の谷戸、芽生えが始まった黒川の雑木林、石砂山の日光浴するギフチョウ、石砂山のタチツボスミレに吸蜜するギフチョウ、石砂山のギフチョウのカントウカンアオイへの産卵、石砂山のカントウカンアオイに産み付けられたギフチョウの卵、小山田緑地のコツバメ、日光浴するミヤマセセリ、町田市のシュンラン、町田市のクサボケ、カタクリ、石砂山のミミガタテンナンショウ、キランソウ、ミツバツチグリ、石砂山のヤブレガサ、石砂山のヒトリシズカ。

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