<様々な里の春の野花たち>


スズメノテッポウ/コオニタビラコ/タネツケバナ/ヘビイチゴ










ハルジオン/ムラサキサギゴケ/トキワハゼ/カタバミ










ジシバリ/スイバ/カキドオシ/ウマノアシガタ










アオイスミレ/アカネスミレ/ノジスミレ/ナガバノスミレサイシン










ヒカゲスミレ/ムラサキケマン/ヒメハギ/センボンヤリ










コケリンドウ/フデリンドウ/ホウチャクソウ/チゴユリ










キンラン/ギンラン/エビネ/ジュウニヒトエ










 桜の花が咲き終わると急速に野山は変貌する。そのスピードと言ったら異常な早さで、まごまごしているとそのスピードに追いつけなくなる。この時期だけは分身の術でもあったら大助かりなのにと思うのだが、そう言うわけにもいかないのだから仕方が無い。今日は初夏を思わせる暖かさで、谷戸田へ降りてみるとカエルがケロケロ鳴いている。ヒキガエルのようなゲロゲロといっただみ声ではなく、もっと軽やかな鳴き声である。残念ながらその正体を突き止めることは出来なかったが、多分、トウキョウダルマガエルであろう。谷戸奥の山桜の老木に立てかけてある竹の棒には、土の中から這出たばかりと思われる薄汚れたアマガエルが身体を暖めている。田んぼの畦にはレンゲソウ、ムラサキサギゴケ、タガラシ、ヘビイチゴ等が咲き、谷戸を下った畑ではネギ坊主の薄皮が破れ、コンクリートの土留めでは早くもナナホシテントウの羽化が始った。遠くあちこちに見える梨畑は花が咲いて真っ白である。
 毎週通っている雑木林は日増しに緑が濃くなって行く。現在、日本全国の山々で禿げ山と呼べるような所は、一部の自然条件の劣悪な所以外には見あたらないし、草木が一本も生えていない所と言ったら火山位しかお目にかかれない。しかし、明治に入る前までは、至る所の里山が樹木が見あたらない禿げ山であったと言うから驚きである。かつて、化石燃料や化学肥料が現れる前、樹木の幹や太い枝は薪炭用に、小枝や葉や草は田圃の肥料として、また、牛や馬の糞は重要な肥料となったので、これらの家畜の餌にと遠い山々の草まで刈り取られたのだという。このような里山からの一方的な略奪は、当然の事として地味を痩せさせ、保水力も低下して洪水などの自然災害も多発した。私のフィールドである多摩丘陵ではこのようなことは無かったようだが、日本の文明先進地域とも言える関西や中国・四国地方などでは顕著で、山の多いはずの信州でも多くの禿げ山があったようである。こうして古代の4大文明も、自然の恵みを略奪し尽くして滅んだと言われている。
 現在もなお都市周辺ではどんどん緑が失われて行くが、公害問題が頂点に達した頃に書かれた品田穣著『都市の自然史』中央公論刊の中で、“生きものの住めない東京に人間だけが住めるか”という問い掛けに、品田氏は様々な角度からの検証を試みている。そのテーゼに対しての確固たる結論は出しえていないものの、人間は身近にあった頃には求めなかった自然が、遠のくに従って恋しくなるのは確かなようである。平城京、平安京という大都市が出現して自然が遠くになると“春の野に菫摘みにと来しわれぞ野をなつかしみ一夜寝にける”という山部赤人に代表されるような自然を賛美し恋慕う歌が多くなったという。こういう私も、住んでいる地域の自然が遠くになりりつつある時に、カメラ片手の自然観察を始めている。“生きものの住めない東京に人間だけが住めるか”という問い掛けに結論を下せないものの、やはり人は緑を求めるようである。
 4月はスミレの花の盛期である。ほんの少しでも雑木林が残っていれば、必ず薄い青紫のタチツボスミレの花に出会えるだろう。この他、ツボスミレ、スミレ、ニオイタチツボスミレ等の多くのスミレが出迎えてくれるに違いない。そして、命あるものすべてが活動を開始した野で、山部赤人の短歌をじっくりと噛み締めて欲しいものである。






















<写真>芽吹きの始まった町田市の谷戸、同所の棚田、スミレ、タチツボスミレ、マルバスミレ、ツボスミレ、レンゲソウ、アマガエル、ナナホシテントウの羽化、アミガサタケ。
(17)超スピードの変身術



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