(2)何事も腹八分目



 暦の上では小寒で、1月7日(正月7日)は七草粥の日である。正月にご馳走をたらふく食べた後で、カロリーが低くしかも大地の栄養分をたっぷり吸い取った青菜のたっぷり入った粥を食べることは、健康上とても理にかなったことである。飽食の時代とも呼ばれている現在であるからこそ、粥をすすると同時に、一年間の健康管理に対する誓いを新たにするには、うってつけなのかもしれない。どんなに美味しいものでも腹八分目にして、活力の源ともいえる胃を優しく労って、健康で長生きするのが一番である。
 正月7日に七草粥を食べるという風習は、中国で吸い物にした7種の菜を食べて無病息災を願ったことから、日本でも平安時代より始まり、百人一首に“君がため春の野に出でて若菜摘む、わがころもでに雪は降りつつ”という光孝天皇が皇子だった頃の歌のように、宮中では神聖な行事の一つとして位ある人々や女官たちが、時には小雪の舞う野に出て摘み草をしたそうである。そして現在のように粥にするようになったのは室町時代になってからで、江戸時代には庶民の間でも普通になったという。
 ところで七草粥の七草だが、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロとされている。このうち、八百屋さんに行かないと手に入らないスズナ(蕪)とスズシロ(大根)がなぜ入っているのだろうかといつも不思議に思っていたが、調べてみると異説もあるらしく、本当は野草なのかもしれない。いずれにしても現在は上記の七種に定着している。この中でナズナは子供の頃、ペンペン草と言って親しんだものであり、ゴギョウはハハコグサで、ハコベラはハコベのことであるが、問題はホトケノザである。各種の図鑑を開いてみれば必ず記述されていると思うが、図鑑にあるホトケノザはシソ科の植物で、とても変な味がして食べられるようなものではなく、七草粥に入れるホトケノザは、キク科のコオニタビラコのことである。
 先日、霜の降りた草を撮影しようと農道を歩いていたら、ナズナとハハコグサとハコベを見つけた。田んぼでセリやコオニタビラコも見つけることが出来るから、これにカラスノエンドウやタンポポを入れば、八百屋さんに出かけなくとも立派な野草仕立ての七草粥が出来上がる。もっとも地域や時代によっては7草は上記のように固定しているわけではなく、また、7種すべてが入っていなくとも良いともされているから、そう堅苦しく考えないで“健康であることの有難さ、健康であることへの願い”を噛み締めながら、一年に一度は神妙にいただくことの方が大切のようである。21世紀は人間が人間らしく生きる時代であると言われている。きっと、七草粥は各家庭で復活するに違いない。
 雑木林に接する民家の日当たりの良い南斜面で、ニホンスイセンや年末から咲き始めていたカンツバキ、美しいとは言えないもののビワの褐色の花が盛りで、キンカンもようやく色づいて食べ頃となった。ニホンスイセンは、日本3大群生地と言われる淡路島や越前海岸、伊豆半島の爪木崎に自生していて、もともと日本の花と思われがちだが、ロウバイと同様に中国から渡来したと言われている。その時期は万葉集や平安時代の文学には登場しないので、平安末期以後と考えられている。ニホンスイセンは一つの花茎に複数の花が咲き、一つの花しか咲かない他のスイセンと花のつき方が違う。このため別名をフサザキスイセンとも呼ばれることがある。スイセンといえば、水面に映る自分に恋い焦がれて水中に身を没したギリシア神話のナルキッソスの話は有名だが、越前海岸には自分を巡って合い争う兄弟を悲しんで海に身を投じた娘が死んだ海岸に、翌春、美しい花“スイセン”が流れ着いたという伝説があるという。





















<写真>渋沢丘陵のソラマメ畑、長津田町の雑木林、震生湖のニホンスイセン、野津田公園のカンツバキ、弘法山のビワ、舞岡公園のキンカン、舞岡公園の霜が着いたイヌタデ、霜の降りたヒメオドリコソウの葉、霜のついた枯葉、舞岡公園の霜の降りた草原。


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