仕事からしばし遠ざかることが出来る、待ちに待ったゴールデンウィークがやって来た。何処を見渡してもフィールドは緑一色となって、吹く風は若葉の香りを漂わせて肌にさわやかな薫風である。丘の上の小麦畑は青々とした穂を出し、時折吹く風が緑の波を作って、四方に広がって行く様を見ているのはとても楽しい。もちろん、麦畑の住人であるヒバリは、天高くピーチクパーチクといつものおしゃべりに余念がない。こんな平和で長閑な世界がまだ日本にもあったのかと、都会で働くものには奇異にすら感じることだろう。
付近にある畑のサヤエンドウは今が収穫の好機となって、最近、茹でてマヨネーズを付けて食べると美味しい、白い花をつけるスナックエンドウもプチプチと弾けんばかりに膨らんでいる。ネギ畑では白い薄皮がはじけて、たくさんの花が咲き出した。ネギが堅くなって食べられなくなるからと、農家の人が花を摘んだ痕も見られるが、この陽気ではお手上げとばかりに花が開くままに任せている。ネギ坊主と言えば、この時期、奥多摩や奥秩父等の低い山が連なる山里なら、前述したギフチョウに近縁なウスバシロチョウが、ネギ坊主にちょこんと止って蜜を吸っているに違いない。
農家の方がやって来たので“この麦は小麦ですね”と尋ねて、おまけに小麦と大麦の違いを教えてもらった。更に失礼とは知りながら“美味しいですか”と尋ねると、店で売っているものは外国産のものがほとんどで、やはり自分で作った小麦でうどんを作るととても美味しいということである。また、蕎麦も自分で作ったものを食べているという。こんなことを聞いていると、立ち喰い蕎麦やうどんばかりを食べている自分の食生活の貧しさを痛感すると同時に、都市生活では忘れ去られてしまった本物の味が、いまでも農家の食卓を賑わしているのかと思うと羨ましくなった。やはり拝金主義の横行する現代社会は、何処かおかしいようである。農家の方々が自分で食べる米や小麦やソバを大事に作っていれば、まだ、日本も捨てたもんじゃないことになる。しかし、首都圏で、いつまでこの光景が見られることだろうか。
先日、『信州自然ごよみ』という本を読んでいたら、今は亡き大歌手の“美空ひばり”の芸名について記してあった。美空とは5月の晴れ渡った空、ひばりとは、もちろん、そこで美しい声で囀ずるヒバリから来ているのだろうと、誰もが頷く推論をしているが、更に深く、この芸名は美空ひばりがデビューした当時の状況、農民の占める割合が高く、冒頭に記したような田園風景が身近にあったことを映し出し、誰もが容易にイメージできる芸名として選ばれたのであろうと続けている。まことズバリ核心をついた推論である。
何処までも続く小麦畑、澄み切った青空、長閑なヒバリの囀りが身近から遠くなった現在、このような芸名はしばらく登場しないであろう。大衆文化は社会情勢を反映しているといわれるが、ことによったら自然重視の文化の復活は、すぐそこまで来ているのかもしれない。また、そう願わずにはいられない。最近、アイドルグループが山村生活を送るテレビ番組が好評を博している。素朴で自然に密着した生活が、今はただ単なる憧れでしかないようだが、そのうち憧れを通り越して多くの都市住人が農山村に移り住むかもしれない。その時、田園をイメージさせる芸名の大スターが登場して来るに違いない。
<写真>小麦畑、ニセアカシア、ネギボウズ、ウスバシロチョウ、アカツメクサ、シロツメクサ、カタバミ、キツネアザミ。
(20)緑の波が広がって