今日は何人もの大きな捕虫網をもった昆虫採集が趣味の方に出くわした。お目当てはこの季節に発生を開始するゼフィルス(ミドリシジミの仲間)である。こういう私の今日の撮影目的もそのゼフィルスで、首都圏平地の雑木林には、イボタを食樹とするウラゴマダラシジミ、ハンノキを食樹とするミドリシジミ、クヌギやコナラを食樹とするアカシジミ、ウラナミアカシジミ、ミズイロオナガシジミ、オオミドリシジミの計6種類が生息している。例年6月に入ったばかりのこの時期は、ミドリシジミとウラナミアカシジミを除いた4種が発生していて、今日は運良く4種に出会えて、満足できる写真を納められたのだからラッキーである。
 簡単に昔から慣れ親しんでいるゼフィルスという言葉を使ってしまったが、現在、どの図鑑の索引を調べてもゼフィルスという言葉は見当たらないはずである。いつの頃から使われなくなったのかは分らないが、蝶の分類学が進展してゼフィルス属という属が無くなってしまったのである。ゼフィルスとは、ギリシャ神話に出て来る“西風の神”のことで、ゼフィールと発音するのが本当らしい。蝶の研究家の牧林功氏の本を読んでいたら、岩波新書の扉の左下で風を吹いているというので、さっそく本棚に手を伸ばして岩波新書を手に取って見た。確かにいました、ちゃんとZephyrusと書いてあるではないか。何冊も岩波新書を読んだはずなのに、蝶の愛好家を自称する私が気づかなかったとは、お恥ずかしい限りである。
 さて、蝶の愛好家は分類学上から姿を決してしまったゼフィルスという言葉を、現在もなお使用しているのであるが、ゼフィルスとは現在の分類学上どのような蝶の一群を指しているのだろうか。かつて学校で習った生物分類の単位を思い出して欲しい。生物は植物界と動物界に分かれて、その下に大きな分類単位である門、綱、科、属、種と続いて行く。蝶は動物界、節足動物門、昆虫綱、蛾や蝶のグループである鱗翅目の中のセセリチョウ上科とアゲハチョウ上科の昆虫たちを指している。上科とはいくつかの科の集まりを言い、アゲハチョウ上科の中にアゲハチョウ科、シロチョウ科、シジミチョウ科、シジミタテハ科(日本には分布していない)、テングチョウ科、マダラチョウ科、ジャノメチョウ科、タテハチョウ科がある。ゼフィルスとはシジミチョウ科の中の13属25種、いくつかの属をまとめて族と言うが、ミドリシジミ族のことを指している。
 日本産の蝶は約240種前後と言われるから、ゼフィルスの25種類は日本の蝶の仲間の大所帯である。こんなに大所帯にも関わらず、他の蝶のように庭の園芸品種の花や山野の草花に訪れたり、空き地や小道を飛び回ることがないのだから、一般の方は知らない方が多いことだろう。ゼフィルスの幼虫は全て広葉樹を食べ、その地理的分布は、ネパールから中国の四川省や雲南省の山地、台湾の山地に分布していて、言わば広葉樹の森の精とも呼べる存在である。写真を見ていただければ分るように、各種の葉に上手に止ってあちこち歩き回り、少しぐらいの風なら飛ばされることは無い。きっと葉の上に止って歩くのに好都合な足の構造をしているのだろう。
 このゼフィルスは蝶の収集マニアに異常な程に人気がある。写真を見て頂ければ分るように、ウラゴマダラシジミ以外は、後翅に可愛らしい尾状突起があり、オオミドリシジミの雄のように緑色に光る羽を持っているものやミドリシジミの雌のように焦げ茶の地に赤や水色の斑紋が出る種類もいる。しかも、全国各地を飛び回らないと集められないし、羽化したての新鮮なものを手に入れようとしたら25種類といえども大変なことなのである。簡単では無いからこそ、全てを集め終わった時の満足感は計り知れないものがあるのだろう。
 こういう私もカメラ片手に自然観察を始めた頃、より多くのゼフィルスの写真を手にしたいと思ったものである。しかし、平地に見られる上記6種類でも、13属中の5属の代表的な存在であり、これらに数属の代表的な種を加えればそれで良いと思うようになった。身近なフィールドには一生かかっても撮りきれない程の被写体があり、ゼフィルスばかりを追いかけていたら、もっと大切なものを撮り損ねてしまうどころか、もっとも大切な毎日通っても飽きない里山の魅力をじっくり味わうことも出来ない。しかし、そんなことを言いながらもゼフィルスの季節になると、まず第一にゼフィルスを探し回っているのだから、とっても魅力溢れる存在なのだろう。
 丘の上の畑では薄紫のジャガイモの花が咲き、大きな葉が美しいカボチャの実もだいぶ大きくなった。カボチャの花は黄色と決まっているが、最近、ジャガイモの花はいろいろあって、ナスのように全てが薄紫だったり、全てが白であったり、写真のように薄紫と白とが入り混じったものまである。詳細には調べてないが、ことによったら品種がちがうのだろう。収穫のピークの過ぎたキヌサヤは、背丈がぐっと伸びて葉の色つやも失われているが、まだ収穫ができるようであるが、これからはインゲン豆が美味しそうだ。畑の境界線にはやや盛期が過ぎたとはいえ、こぼれんばかりにウツギ(ウノハナ)が真っ白に咲いている。ウツギを畑の境界線に植えるのは、私がフィールドとしている多摩丘陵周辺だけの風景なのではと思っていたら、先日、栃木へ出かけた折にも電車の窓から同様な風景が各所に見られた。根から不定芽が出にくく、種子が畑では発芽しにくく、刈り込みに強いというウツギの性格は、所変わっても畑の境界線に植えるのにぴったりなのだろう。 
 フィールドに隣接する農家や民家の庭先のアジサイは赤紫に色づき始め、ビワの実が熟して重そうに枝からぶら下がって、あと数日たてば収穫出来る程になった。この他、ユスラウメ、ナツグミやその園芸品種であるダイオウグミも熟して、生垣のカラタチの実はまん丸で緑のピンポン玉のようでとても可愛らしい。ゼフィルスを除いた蝶の世界でも新しい世代がどんどん羽化して、ルリシジミの明るいブルーやキチョウの鮮やかな黄色が梅雨空にもめげず一際美しく、モンシロチョウ、スジグロシロチョウ、ベニシジミ、キタテハ、テングチョウ、ウラギンシジミ等が元気一杯に飛び回っている。6月は蝶の種類が一番多く見られる季節となっているが、何処を見渡しても様々な色や形の蝶で一杯である。春から始った命の行進が、太陽の恵みを一杯に受けて、フィールドの隅々まで多くの実りをもたらしているようである。
 谷戸田の田植えはすっかり終わって、苗は無事に活着し、あとは適度の梅雨の雨と夏のギラギラと照りつける太陽を待ち望んで、たわわに実ることを夢見て成長を開始した。谷戸が緑一色になるのももうすぐだ。山裾にある丹波栗の花も咲き始め、熱気と湿気を含んだ大気に独特なむっとした臭いとなって漂って来る。このクリの花はゼフィルスたちの大好物なのである。谷戸田と雑木林の間の草地には、次項で紹介するウツボグサやホタルブクロ、シモツケ等が咲き出し、まだ梅雨入り宣言はなされていないが、フィールドの何処を見渡しても梅雨の季節がやって来た。 

<写真>谷戸奥のクリ林、夕日映えの水田、クリの花、アカシジミ、オオミドリシジミの雄、ミドリシジミの雌、ウラゴマダシジミ、ミズイロオナガシジミ、ウラナミアカシジミ、ジャガイモの花、カボチャ畑、ウツギの花、カラタチの実、カボチャ、ビワ、ダイオウグミ、ユスラウメ。
(24)ゼフィルスが飛び出した



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