(45)秋が一杯、人も一杯
10月も半ばを過ぎると天気の良い日が続き、アウトドアでの活動には快適な気温となった。このためか日曜日のフィールドにはたくさんの人が繰り出して来る。軽いウォーキングや自然観察にいそしむ方はもちろんのこと、秋の雑木林の味覚を求めてやって来る方も多い。今日は藪の中に入って自然薯を掘りに来た方に出会った。手にした自然薯は何と1メートル以上にもおよぶ長いもので、よくぞ掘り出したものだと感心させられる。相当の忍耐力と体力が必要となるに違いない。私にはとうてい無理である。
しかし、苦労の割には細らしているなぁと思っていたら、掘り出した方もそう感じているらしく「昔はビールビン位の太さのものが掘れたのになぁ」と嘆いていた。子供のころ父が自然薯掘りが大好きで、その粘り気とこくのある味わいは畑で育てたナガイモなど比でないことは知っている。もっとも粘り気が強すぎて、自然薯をおろすのに母が苦労していたのが懐かしい。
自然薯やスーパーで売っている中国から伝来した畑で育てるナガイモはサトイモに対してヤマイモとも言うが、山野に生える自然薯の正式な和名はヤマノイモである。また、熱帯地方で栽培されるヤマノイモ類はヤムイモと呼ばれ、サトイモ類がタローイモと呼ばれて、両者はバナナとともに太古の昔から現地の人々の重要な食料であったのは有名である。あのヤマイモ類の粘々した成分は、本によるとグロブリン様タンパク質にマンナンがゆるく結合したものらしく 何とヤマノイモはナガイモの約4倍も多く含まれているそうである。どうりで自然薯は腰の強い粘り気があるはずである。ヤマノイモで忘れられないのが葉の付け根に出来るジャガイモをミニチュアにしたような可愛いムカゴである。先週であったかやはり同じフィールドで、長い高枝バサミのようなアルミで出来た棒を持っている若い夫婦に出会った。「マムシでも捕るんですか」と冗談交じりで聞いてみると、ヤマノイモのムカゴ採りだと言う。そのまま茹でたり炒ったり、炊き込みご飯にすると美味しいそうである。
雑木林と草原と畑が入り混じった丘の上の狭い農道を歩いていると、四輪駆動車がやって来て止まり、2人の大の男がなにやら探し物をしているように歩いている。「何を探しているのですか」と尋ねると、「虫、蜂の子を取りに来たのだ」という答えが返って来た。「クロスズメバチの幼虫ですね。油で炒めて醤油を垂らしたものを一度食べたら病みつきになりますね」と言うと、「よく知っているね」と言うので、笑顔を浮かべながら「大学が伊那にある信州大学農学部でしたから」と答えると、とっても親しげな顔が帰って来た。見ると車のナンバーは松本ナンバーであった。
蜂の子取りにはいささか驚いたが、このほか首都圏平地にある小さな雑木林であっても食べられるキノコがたくさんあるらしく、農作業の合間に採りに行く農家の方に出会ったことがある。どうも芝栗を拾ったりアケビやエビヅルの実を食べたりするのは素人さんの部類のようだ。このように春の山菜採りと同様に秋にもたくさんの自然の恵みがあって、この時ばかりと多くの人がやって来る。自然が少なくなった首都圏平地にわずかに残った雑木林や自然観察を続ける私にとって、招かざる客人かと思われるかも知れないが、こんなことでへこたれる雑木林では無いだろう。恐ろしいのは緑を根こそぎにする宅地開発や谷戸田を畑に変える減反政策、荒れるままにまかせる雑木林や休耕田の管理放棄などであり、また、貴重な野草を持ち去ることや粗大ゴミの不法投棄などである。それらに比べたら、わずかばかりの自然の恵みを求めてやって来る方々は、身近な自然を大切に思う人達ばかりで、歓迎すべきとまでは行かないものの、お客様であることには間違いない。
<写真>秋の五反田谷戸、平塚市土屋の夕暮、ミツバアケビの実、シュウメイギク、キバナアキギリ、ノハラアザミ、タイアザミ、オケラ、カシワバハグマ、ツリフネソウ、ツリガネニンジン、マルバルコウソウ、ナギナタコウジュ、イヌタデ、ホトトギス。