(48)ミカン山はほっかほか


 遠くに見える丹沢の山頂付近は茶褐色に変化している。きっと木々が葉を落として冬の姿に変身しているのだろう。昨日の夕方から木枯らしと呼んでいい程の北東風が強く吹き出し、今朝も昨夜ほどではないが強い風が残っている。寒さも一層厳しくなって、栃木県の宇都宮では霜が降りたという。気圧配置は西高東低で、空を見上げると寒気が進入したことを示す雲がたくさん浮かんでいる。厳冬期にこの様な雲が現れると粉雪が舞って、身が千切れるばかりの寒さとなる。しかし、まだ11月の半ば、しかも、もうすぐ雲が取れて晴れるという。少し寒くて身が震えるが、ウィークエンドの自然観察に入った。
 こんな気温の低い風のある日は、ミカン山に逃げ込むのが最高である。周りを雑木林や丘に遮られた南斜面は、太陽が差し込むと同時に急激に気温があがり、長閑な絶好の観察地に変貌する。ミカン山に到着するとだいぶ青空が増えて、雲と半分半分に空を分け合っている。ミカン山の入り口のやや湿った畑にユズが植えられている。私が熱心に道端からカメラを向けていると、畑の持ち主の老人が現れて、「冬至までまだ一月半もあるのというのに、今年はすっかり色づいてしまいましたよ」と話しかけて来た。例年より成熟するのが早くても、市場への出荷はやはり冬至前ということである。「もっと格好の良いユズがあるから、畑の中に入って撮って下さい」と、レンズを向けているユズが不恰好に見えたらしく熱心にすすめてくれた。私のユズに対するイメージは、ミカンのような肌が奇麗で格好の良いものではなく、野趣溢れるデコボコと痘痕がたくさんある不恰好のユズで良かったのだが、もっと絵になるユズがあるかも知れないとご好意に素直に従った。一通りの撮影が終わって、煙草を吹かしている老人と話をすると、なんと85歳であるという。やはり人間は適度に身体を動かし頭を使う必要がある。ミカンのように色艶格好が良いとしても、病気がちで痴呆が進んだら幸せとは言えまい。そう思って老人の顔を見返すと、日に焼けてゴツゴツとした肌は、私のイメージする野趣溢れるユズそのものだった。
 ミカン山を少し上った陽だまりに、園芸品種の小菊に一番近いという純白のリュウノウギクが咲いている。漢字で書くと『竜脳菊』となり、葉をちぎって揉むと懐かしい樟脳の香りがしてくる。この香りがリュウノウジュから採れる竜脳に似ているからそう名づけられた。最近、衣類は化学繊維が主流となり、臭いが嫌われて人工的な防虫剤が使われている。樟脳といえば和箪笥と思い込んで家に帰って開いてみると、期待した香りは漂ってはこなかった。我が家も人並みの近代的な生活を送っているわけである。部屋の中が臭くなるからと言って、樟脳や蚊取り線香は使わなくなったが、自然産物なのだから身体には良いはずである。蚊除けといえば蚊帳が思い出されるが、忘れ去られて久しい。ことによったらいつの日か、蚊帳などの古き良き時代の品々が復活するかもしれない。蚊帳の中でパソコンのキーボードを叩いて全世界に発信、想像しただけでもとても愉快になる。
 一口に野菊といっても、開発の進んだ首都圏ではヨメナやノコンギク、ユウガギクが最もポピュラーなものとなっていて、花期もリュウノウギクに比べるとだいぶ早く、行楽に最適な季節とあって目に触れる機会も多いと思う。しかし、その年の最後に咲き、比較的自然度の高い緑地にしか見られなくなったリュウノウギクを知らない方も多いと思う。もうすぐ首都圏平地の雑木林にも霜が降り、野外へ出かけるのが億劫になることだろう。そんな冬間近という季節に咲くリュウノウギクに、良く晴れた暖かい日に会いに行って欲しい。リュウノウギクの咲く陽だまりは、咲き残った各種の野の花や昆虫たちとって、今年最後の生命の舞を踊る格好の舞台となっているのだから。

<写真>朝の雲、ミカン山、キク、ツワブキ、リュウノウギク、ミカン、ユズ、カリン、キウイ。



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