(49)リンドウ咲く谷戸で



 歴史小説家として著名な司馬遼太郎が『街道をゆく』のなかで、「万里の長城も偉大な遺産だけれども、神在居の千枚田も偉大な農民の文化遺産だ」と、高知県檮原町神在居の千枚田のことを評しているという。各地にある山の中腹まで続く棚田に比べると、スケールは遥かに小さいものの、多摩丘陵の谷間に広がる谷戸田も、日本列島に稲作が到来してから続く長い歴史を持った地域の文化遺産である。その文化遺産が次々と消滅して行くのは開発だけでは無く、農家の後継者不足、大型農機が使えないことから来る重労働、政府の減反政策等によるところも大きい。
 ここに来てようやく中山間地の水田の効用が見直されて来たので、いずれは棚田や谷戸田がより大切にされるに違いない。かつて平塚市の谷戸で農家の人と話したことがあるが、平地にある水田に比べて、耕す労力がいる割には収穫量は少ないと言う。しかし、この農家の方は谷戸田の様々な効用を知っているのはもちろんのこと、谷戸田がある風景がとても好きであると言っていた。谷戸田を耕作し続ける農家の方々は、私のようなウィークエンド・ナチュラリストにとっては、得がたい自然保護員であり自然観察インストラクターでもあって、将来は耕し続けることを行政が補助金を支払ってでも奨励するようになることを期待したい。
 ところで谷戸田の水は何処から来るのだろう。もちろん周囲の雑木林に降った雨が地下水となり泉となって湧き出て来るのだが、このため谷戸には必ず水源涵養の雑木林と日照りの時の水涸れを補う溜池がセットになっている。このような構成が生き物の多様性を保持していることは言うまでも無い。谷戸田の水の流れ、稲を育てるための灌漑は上から下の田んぼに順次に水を流して行く『田越し灌漑』と、田んぼの脇に用水路を造って水を入れて、また用水路に水を返すという『用排兼用型灌漑』の二つに分かれる。私のフィールドである多摩丘陵では谷戸の上部は田越し灌漑で、下部は用排兼用型灌漑の田んぼが多いようである。とは言っても厳密なる区別は難しく、上部の田でも雑木林と接する所に多量の雨が降った時のための水路が設けられているのが普通である。
 こんな仕組みになっている田んぼと山裾が接するあたりは、近年減少を続ける雑木林の山野草の宝庫で、一年の最後を締めくくる山野草の女王とも言える気品を持ったリンドウも数少ないが見ることが出来る。リンドウは上部の田と雑木林の接する場所や、細い水の流れに垂れ下がるがごとくに咲いている。こんな場所はじめじめしていて、迂闊に近づくと“すってんころりんの泥だらけ”となってしまうので盗掘から免れているようである。私の知っているある墓地の裏山では雑木林の中でも見られるので、以前はもっと足場の良い所にも咲いていたのだろう。こんな近づくことが難しい場所にはリンドウよりもっと希少種の花も僅かに残っているのだが、農家の方々の苦労と谷戸の自然保護を考えると、畦を壊しかねない踏み入れは厳禁となる。
 この時期の谷戸の動物の中で、是非とも取り上げておかなければならないものがある。クヌギの幹の割れ目に卵を生むクヌギカメムシとジョロウグモである。特にジョロウグモは何処でも普通で、黄色の地に薄青い縞が入り腹部末端が赤い大型のクモで、多分その艶やかな模様が『女郎』を思い起こすのでそう名づけられたのに違いない。秋になると至る所で見られるクモだが、見つけたら大きな網の何処かにこじんまりとしたクモが同居しているので探して欲しい。ジョロウグモの亭主である。片隅に位置してまったく可愛そうになる位に貧弱である。女性が強くなったと言われる今日この頃だが、あんなに弱々しい亭主には絶対なりたくないと思うに違いない。最も熟年になって離婚されて放り出される位なら、ジョロウグモの亭主のように目立たず自己主張せずに女房に従ったほうが正解かもしれない。もうじきジョロウグモの産卵が始まるだろう。樹木の幹に独特な卵が産み付けられるているから併せて観察されたら良いと思う。

<写真>晩秋の寺家ふるさと村、陽に光る棚田、リンドウ、センブリ、ウメバチソウ、ジョウロウグモ、ジョロウグモの卵、産卵するクヌギカメムシ、ミノウスバ。



つれづれ里日記(50)へ



つれづれ里日記INDEXへ