(52)小春日和に生命の洗濯
“音に会いたい”というNHKのラジオ番組がある。視聴者からリクエストされた昔懐かしい音、もう一度聞いてみたい音を収録して流してくれるラジオならではの番組である。せんだっては、これはちょっと収録が難しいのではと思われる雑木林の落ち葉の上を歩く音が放送され、それに対して数多くの反響が寄せられた。その中から“落ち葉を踏みしめなから歩くと生じるサクサクという音は、落ち葉を集めてサツマイを焼く煙やホカホカと暖かい焼けた焼き芋の臭い、周りに咲いていたサザンカの花を思い起こす”という声が紹介された。このような声を寄せた方は、きっと落ち葉を集めて焼き芋を焼くことが許された私と同年代の方に違いない。首都圏平地では落ち葉を集めて焼き芋を焼くことは遠い昔のこととなったが、雑木林の小道をサクサクと音を立てながら歩くことが出来るフィールドは、その気になって出向いて行けば、各所にまだ僅かながらだが残っている。
昆虫に興味を持つ者にとって、雑木林の落ち葉を踏みしめて歩くと生ずるサクサクという音は、本書の始めの方で紹介したような越冬する昆虫を探し出す冬ならでは昆虫観察を思い起こすが、その前に忘れられない昆虫が出現する。クロスジフユエダシャクである。手入れの行き届いたクヌギやコナラを主体とした雑木林があったら、一歩道から踏み込んで中を覗いて欲しい。薄いやや褐色の白い紙切れが数多く舞っているような光景を見ることが出来るに違いない。昆虫や自然に興味の無い方は、その自己主張の無い弱弱しい舞に別段の興味をそそられる事無く通り過ぎてしまうのかもしれないが、この紙切れのようなものが初冬にだけ現れるクロスジフユエダシャクなのである。
晩秋から早春にかけて発生するシャクガの仲間をフユシャクと呼んでいるが、クロスジフユエダシャクはそのトップバッターで、日本に約20種類もいるというフユシャクの中で、最もポピュラーな存在である。このヒラヒラと飛んでいるのはすべて雄で、雌は羽が退化していて飛ぶことが出来ない。また、雄も雌もともに口器が退化していて何も食べられないが、食べるものが無い時期に発生するのだから、口器があっても意味が無いのかも知れない。こんなクロスジフユエダシャクが、静まり返った雑木林の中をヒラヒラと飛んでいる姿は、ある意味では無気味でもあるが、生命力の不思議さと強さを感じざるをえない。
一ヶ月ほど前に、休みになるとバイクで谷戸にやって来て野草を摘み、周りの雑木林に入ってキノコを探すという女性に出会った。私など及びもつかないほどの自然好きで、大丈夫かなと心配になるほど各種の野草やキノコを料理して食べるのだと言う。その女性が『昆虫も大好き、だって昆虫は一生懸命に生きているから』と言うのを聞いて、自称昆虫大好き人間で、このような文章を書いたり写真を撮ったりしている私であるが、彼女の観察眼の鋭さに比べれば、私などほんの序の口に思えてしまった。この全ての生物が寝静まったような雑木林で、一生懸命に羽ばたいて飛んでいるクロスジフユエダシュクを見ていると、確かに昆虫たちは一生懸命に生きている。そしてキノコ採りの女性もきっと昆虫たちに負けまいと、毎日、一生懸命に生きているだろう。
この時期に一生懸命に生きている昆虫をあと数種見たいと思ったら、北風が遮られる良く日が当たる南斜面を注視してみよう。アラカシやアカガシなどが近くにあったら、美しいムラサキの羽を広げて越冬前の寸時の日向ぼっこをしているムラサキシジミが見られはずである。この他、太陽の光で良く暖まった淡い色の肌を持つクヌギなどの樹木の幹や立てかけてある枯れたモウソウダケなどに注意していると、成虫で越冬するクビキリギリスやツチイナゴ、もうすぐ命が尽きようとするアキアカネ、ヒメアカネなどのトンボの日向ぼっこに出会うに違いない。
<写真>小山田緑地のクヌギの木、雪をつけた富士山、畦道のススキ、クロスジフユエダシャク、ムラサキシジミ、アキアカネ、ヒメアカネ、クビキリギリス。