いよいよ節分、その翌日は立春である。今年の一月は例年より寒く、週末になると雪が降るという天候であったから、立春の日が特別に待ちどうしかった。もちろん毎週末のフィールド通いは続けて来たし、この時期ならではの楽しみもいっぱいあったのだが、咲いている花といえば、前述したようにロウバイ、スイセン、カンツバキと数える程で、活動している昆虫といえばフユシャクの仲間等のほんの数種類でしかない。昆虫の世界では、これからもしばらくの間、同じような状況が続くのだが、立春を過ぎると各種の花が咲き始める。しかも、晴れた日には暖かさを増した空となって、風が無ければ汗ばむ程の陽気となる。現在では節分は立春の前日ということになっているが、立春・立夏・立秋・立冬の前日すべてを称していたという。要するに季節の分かれる日と言うことで、立春に至れば暦の上では春となって、フィールドに幾分春めいたものを感ずるのも当然かもしれない。とは言っても、関東地方で雪が降るのはこの時期に多いから油断は禁物である。
節分の行事と言えば地方によって様々だと思うが、かつて東京周辺ではイワシの頭を焼いてヒイラギの小枝に刺し、それを玄関や勝手口などに立てかけ邪気を払ってから煎った大豆を撒き、病気にならないようにと豆を年の数だけ拾って食べ、また、余った豆の一部はお茶の中に入れて“福茶”として飲んで祝い、残った豆は神棚に紙で包んで置いておき、カミナリが鳴ると神棚から下ろして食べ、カミナリ避けのまじないとしたそうである。焼いた鰯の頭は古くから魔除けがあると信じられていたようで、地方や時代によっては鰯の頭以外に、ボラやニンニクなどの焼けば強い臭気を放つものが利用されていたという。ニンニクは、古代ギリシヤでも魔術を破るものとされ、映画のドラキュラでの吸血鬼除けの効能は有名である。ヒイラギは平安時代より厄除けに使う風習があり、紀貫之の“土佐日記”にも元旦にヒイラギを飾る風習が書かれているという。そして大豆は、千年以上も昔に、鞍馬山にいた鬼が都に侵入しようとした時、毘沙門天の示現によって三石三斗の豆を煎って、鬼の目をつぶしてのがれたと言われている。このように強い臭気で鬼を寄せつけず、鋭い葉の刺や煎った大豆で鬼の目をつぶして退散させるというわけである。このように調べてみると節分の風習は素晴らしいご先祖様の知恵の結集で、以上のような由緒正しいものは、私の記憶にもないのだから、かなり以前に行われなくなったようだ。だからこそ唯一残った豆撒きくらいは、毎年神妙に執り行わなければなるまい。
雪のために遅れていた早咲きのウメやシナマンサク、オウバイ、カンザクラ、カンボケ等が咲き始めた。良く日が当たる所に植えられているものに限ってとはいえ、梅の花が咲くと春がやって来たと感ずるのは、私だけの思いではなかろう。事実、しばらくは相変わらず厳しい寒さが続くものの、花木だけでなく花壇の花も野の花も、次々に咲き出すのである。梅には好文木、香栄草、初名草などと異称が多いが、春告草という異称もあるという。全く同感である。梅はもともと中国四川省が原産で、日本へは奈良時代より少し前にもたらされたという説が一般的である。万葉集に“春されば先づ咲く宿の梅の花 ひとり見つつや春日暮らさん”と山上憶良の歌は有名だが、奈良時代の天平2年(730 年)の正月13日(陽暦2月8日)に太宰府の大伴旅人の邸宅で、総勢30名の者が集まって梅見の宴が開かれた時に作られた歌だという。このように奈良時代には花と言えば梅で、歌の会には梅の一枝をかざして大宮人が集まったと言われている。
<写真>朝の雲、小野路町の梅の畑、舞岡公園のアカバナマンサク、オウバイ、マンサク、小石川植物園のカンザクラ、小石川植物園のシナマンサク、ウメ、町田市薬師池公園の紅梅。