前項で立春となり春めいて来たと書いたら、天気の神様が“そんなに早くに春にはならないよ”と、昨夜、首都圏平地に雪を降らせて戒めになった。横浜市では明け方みぞれに変わって積雪はほとんどなかったのだが、こういう時には八王子付近まで足を伸ばせば、得がたい雪景色の写真を何枚も手にすることが出来る。そう思ってJRの横浜線に飛び乗った。もちろん防寒対策は万全にし、長靴着用であることは言うまでもない。電車が町田市に入ると車窓から期待していた雪景色が見え始める。八王子に入れば更に雪が深くなるだろう。
江戸時代の松尾芭蕉が“いざ行む雪見にころぶ所まで”という句を残しているという。芭蕉と言えば奥の細道で格調高い句を残していて、凡人には遠い高みの存在と思っていたら、このような親しみ深い句もあることを知って意外に思った。まさに今日のこの私のとった行動は、ころぶことはなかったものの、芭蕉の句そのものであったからである。北海道や日本海側の豪雪地帯に住む方々にとって、雪は手に負えない厄介者であるが、首都圏の特に自然大好き、写真大好き人間にとって、雪は宝物を運んでくる待ちに待ったものなのである。なぜなら、日頃見慣れたフィールドが雪で一変するからだ。
数年前、首都圏では珍しい大雪が降った。日中に溶けた表面が夜間になって堅く凍ったため、雪の上を自由に歩くチャンスに恵まれた。田んぼも畑も白一色で、まるで全面氷結した大きな湖にいるかのようである。いつもは農家の方が丹精込めて耕作している田畑に踏み込むことは厳禁だが、この時ばかりは農作物もすべて雪の下に埋もれているのだから大丈夫と思って歩き回った。いつもと異なった地点から見渡すフィールドはとても新鮮で、かつては毎日味わっていたはずなのにの、いつの間にか失われてしまった懐かしい子供の頃の穢れ無き感覚が鮮やかに甦った。私の勤めている会社に富山県出身の方がいて、雪が積もると雪の上を歩いて行けるので、学校までの道程がとても短くなったと言っていた。こんなことは雪国では普通のことで、笑われてしまいそうだが、雪の少ない首都圏では何年かに一度の貴重な体験となるわけである。
雪が積もったフィールドの宝物は何といっても一変した風景だが、大根畑や白菜畑も見逃せない。大小様々の山々が連なって、そこに冬の陽が当たると影が発生して、味わい深いミニチュア山岳地帯が出来上がる。ほとんどが浅間山のようなこんもりとしたものだが、時にはヒマラヤやアルプスを連想させるものもある。もっとも、雪が多いと山々の谷は埋まって、今度は美しい砂丘のような紋様が広がる。そして3番目の宝物が、前夜の激しい風に叩き落とされた各種の木の実や葉などである。雪の上に落ちた実や葉が触れる所は、雪が溶けるのが早いらしく、みんな数ミリほど雪の中に落ち込んでいる。時期によっては、ナノハナが埋もれていたり、ロウバイやヤブツバキの花が落下していて、雪見と花見が一緒に出来るのだから、こんなに楽しいことはない。もっとも、写真に良くあるようなウメやロウバイ、サンシュユ等の花や小枝に雪が積もっていたり、雪を割っての地面からフクジュソウやフキノトウが顔を覗かせているような光景は、雪が溶けるのが早すぎる首都圏ではちょっと無理のようである。
以上のように雪が積もれば、フィールドは宝物で一杯なのだから、雪の降る前にフィールドを訪ね歩いてお気に入りの場所を確保し、落ちては大変な溝や小川や池などの在りかをしっかりと頭に刻み込んで、雪の降る日をわくわくと待ち受けたいものである。もっとも、近くの公園等でも思わぬ光景を手にすることが出来るかもしれない。
<写真>長津田町の雪の雑木林、ヤママユの空繭、シラカシの葉、ハンノキの実、シャリンバイの実、ケヤキの枯葉、雪の小松菜畑、雪覆う畑、雪残る谷戸田、雪の塊。
(7)雪の中の宝物