昨日のフィールドからの帰りに車のラジオに耳を傾けていたら、学童文化研究家なる方が興味深い話をしておられた。主に小学生が使う文房具などの変遷を研究なさっているようであるが、かつて、子供たちが一人でお金を持って買い物に出かけることが唯一許された、駄菓子屋さんについての話はとても面白かった。子供好きの駄菓子屋のおばあちゃんは社会のモラル、例えば“食べ物の包み紙やアイスキャンディーの棒などを道に捨ててはいけませんよ”といったことを教え、そこに集まってくる年齢が隔たった、あるいは学校が異なった子供たちの間では様々な情報交換がなされ、少額だが自由になるお金で欲しいものを買うという、初めての消費を味わったのである。昨今、駄菓子屋さんは減少の一途だが、子供の教育上とても重要な場であったように思われる。現在の100 円ショップなるものの隆盛の先に、子供たちのための10円ショップが誕生して、21世紀の駄菓子屋文化なるものの復権がなされるに違いない。
百科事典で駄菓子屋さんを調べてみると、何とその歴史は古く江戸時代にまで溯るという。その頃の駄菓子の値段は一つ一文が普通で、このため一文菓子と呼ばれ、明治に入って貨幣価値の変遷とともに、一厘菓子、一銭菓子と呼ばれるようになったという。私が子供の頃は10円のものが一番多かったが、10円菓子とは呼んでいなかったように思われる。江戸時代から駄菓子屋さんの周りは、前述したように子供たちの情報交換の場で、このため各種の情報集めや逆に噂を広めるために多くの隠密が駄菓子屋を開いていたという。まこと物騒な話である。ところで今の子供たちの情報交換の場は何処なのだろう、進学塾の休憩の時間の教室なのだろうか。まこと悲しき話である。昔から駄菓子は色合いがけばけばしいと相場が決まっていたが、その味は上品な菓子に無い美味な物が多かった。ソース烏賊、酢昆布、きなこ飴、あんこ玉などが思い出されるが、とても甘い褐色の軽石状のかるめ焼きも忘れられない存在である。
さて、昔懐かしいかるめ焼きが登場した所で、冬のフィールドで見られるかるめ焼きの話に移ろう。フィールドのかるめ焼きとは、言わずと知れたカマキリの卵が一杯詰まった卵のうである。かるめ焼きに一番似ているのはオオカマキリの卵のうで、主に河川敷のアシや草原のセイタカアワダチソウなどの細い茎に生み付けられている。次に似ているのは、ちょっと固めのかるめ焼きともいえるラグビーボールに格好の似たハラビロカマキリの卵のうである。こちらは例外はあるものの、太い木の幹に生み付けられているのが普通で、時には電柱や塀などにも着いている。この他、できそこないのかるめ焼きであるチョウセンカマキリやコカマキリの卵のうが首都圏平地で普通に見られる。何種類発見できるか一度は挑戦して欲しい冬ならではの自然観察の一つである。
今までいろいろと昆虫の冬の姿を紹介してきたが、フィールドをウロウロしていると、とっても変なものに遭遇する。今まで一番変なものだと思ったのは、昆虫ではなくナガコガネグモの卵のうである。小銭や小物を入れる巾着にそっくりで、中には子グモが無数という程に入っているから開けては可哀想である。それこそクモの子を散らすという騒ぎとなって、子グモは死んでしまうだろう。その他、蛾の仲間も奇妙なものを作る天才で、各種のミノムシの巣は言うまでもないが、硬い繭で、一つとして同じ文様が無いと言われるイラガの繭も忘れられない冬の風物詩である。
<写真>鶴見川河川敷のオオカマキリの卵のう、舞岡公園三角畑のハラビロカマキリの卵のう、舞岡公園瓜久保の家裏のチョウセンカマキリ(カマキリ)の卵のう、コカマキリの卵のう、ナガコガネグモの卵のう、舞岡公園瓜久保便所(男子用)の外壁に着いていた正体不明のもの、イラガの繭、ムモントックリバチの空巣、オオミノガの巣。