かつて武蔵野に普通に産した国蝶のオオムラサキを観察しに甲府盆地に出かけると、決まってニイニイゼミの鳴き声が聞こえて来る。ニイニイゼミは、オオムラサキと同じ時期、ちょうど梅雨の末期に地上に現れる。大気は水蒸気をたくさん含んでいるが、太陽光線の強さは夏そのものである。ニイニイゼミの鳴き声を聞いたら、1週間か10日の内に決まって梅雨は明ける。もう何年も甲府盆地に足を運んでいるが、外れたことは一度として無い。ニイニイゼミは梅雨明けを知らせる、確かなる“自然の暦”の一つである。ニイニイゼミの鳴き声がしたら、付近の公園で、羽化の瞬間を撮影するために夜遅くまで頑張らなければならなくなる。ニイニイゼミの幼虫は、他のセミと違って、泥をたくさん身体に付けて地中から現れるやんちゃ坊だ。アブラゼミのように細い枝や葉先で羽化するのが苦手のようで、サクラやシラカシ、ケヤキの幹、時には大きな石に足場を決めて脱皮する。このため、クロオオアリ等に羽化の瞬間を狙われ、一命を落とす個体も多く、特に、蟻が多いシラカシの幹では、半数以上にのぼることもある。4年間も暗い地中で我慢したのだから、どうか蟻が居ない場所を探して羽化して欲しい。そう願わずにはいられない。
江戸時代の俳人松尾芭蕉の有名な『奥の細道』にある“閑さや岩にしみ入蝉の声”の句は、元禄2年(1689年)の旧暦5月27日(太陽暦7月13日)に、現在の山形市にある立石寺で読まれたものである。中尾舜一著『セミの自然誌』中央公論社刊に詳しく書かれているが、歌人の斉藤茂吉が“芭蕉の蝉はアブラゼミである”と断定したことから一大論争が起こった。最終的に茂吉が誤りを認め、ニイニイゼミと訂正して終止符を打ったとある。セミの観察を続けていると、7月中旬頃ならニイニイゼミが圧倒的に多く、発生時期から察しても、芭蕉の蝉はニイニイゼミに間違い無い。最近、首都圏ではニイニイゼミが少なくなったように感じるが、甲府盆地のサクラがたくさん植栽されている場所に行くと、それこそ“チーー”としみ入るように鳴いている。
ニイニイゼミやオオムラサキの観察に熱中していたら、ヒグラシの“カナカナカナ”と、もの悲しい鳴き声が薄暗い林の中から聞こえてきた。小学校なら“夕焼け小焼け”、中学校ならドボルザークの新世界の中の“家路”が下校を促す音楽であったように、昆虫観察はもうこの辺にして家路に着きましょう、と注意を促す自然の音楽である。他の季節なら、日暮れ前に昆虫の観察はとっくに終了して家路を急ぐのだが、夏は夜の樹液に集まる昆虫やセミの羽化の観察の季節である。もう一頑張りせねばならぬ。いつもヒグラシの鳴き声を聞きながら腹ごしらえをして一服し、遠い昔、我々のご先祖様が自然に溶け込むように暮らしていた時、このヒグラシの鳴き声をどのような心地で聞いたのだろうかなどと考えながら、夜の観察のための準備にとりかかる。
<写真>桜の木で鳴いているニイニイゼミ、ニイニイゼミの羽化@、ニイニイゼミの羽化A、ニイニイゼミの抜け殻、樹肌に擬態したニイニイゼミ、ヒグラシの抜け殻、ヒグラシの雄。