(カメラ片手に四季の花巡り入門)
はじめに
第1章…花の写真撮影の魅力
■アートすることの楽しさ
風もなく天気の良い休日に、小さなリュックサックを背負って、身近な雑木林や自然公園や植物園等に花の写真撮影に出かける。自動車や人混みなどの都市生活の騒音から離れて、静かなフィールドをのんびりと歩くのはとても楽しいものです。しかも、今日はどんな素晴らしい花に巡り会えるだろうか?と、胸をわくわくさせながら探し求める気分は、まるで名探偵シャーロック・ホームズになったようです。そして素晴らしい花に出会って、あらゆる方向からあらゆる方法で、その美しさをカメラの中に納めようとする時、印象派の画家になったようなアートする気分に浸れるのですから最高です。日頃の忙しさの中では味わうことが少なくなっている“自分は生きているんだ、今、美しいものを作り出そうとしているんだ”と感じることが出来る瞬間はとても貴重です。たとえ出来上がった作品がさんざんに極評されようとも、印刷物等に使われなくとも、そんなことはどうでもよくなってしまうことでしょう。青空の下で花と緑に囲まれて、わくわくしながら歩き回ってアートする楽しさは、一度味わったら何事にも代え難いものとなります。写真が芸術かどうかは分かりませんが、カメラでアートし続けるということは、きっと評価されなくとも描き続けた絵描きのようなものだと思われます。今でこそこのような花の写真撮影の指南書を書いている私ですが、カメラを持って野山を歩き始めた頃の方が、もっと楽しかったように思われます。また、むしろその頃の作品の方に愛着を持つ物が多いように思われます。このようにカメラを持って野山を歩いて写真を撮るということは、もう、それだけで魅力溢れるものなのです。人は勝ってなことを言うでしょうが、やっている人しか分からない、やり続けている人にしか分からない魅力が溢れています。
■何よりも健康に良い
それに何より肉体的にも精神的にも健康に良いことは言うまでもありません。小鳥が囀り、蝶が飛び、小川のせせらぎが聞こえて来ます。また緑溢れる新鮮な空気いっぱいのフィールドは、そこにいるだけでも健康になる素晴らしい森林浴です。また、ある程度の重さのある機材をもって歩き回るのですから、日頃の運動不足が解消されます。そして前記したような諸雑務から開放されたアートする忘我の境地に、ストレスなど入り込む余地は何処にもありません。それどころかみるみる内に日頃のストレスは発散されて、精神的にも健康となるでしょう。写真家は実際の年より若く見えると言われていますが、きっと、このような事から来ているのでしょう。傑作写真をものにするのだと意気込んで、良い被写体はないかと眼をキョロキョロさせて、せかせか歩き回るのでは無く、ゆったりとした気揩ソで自然の微妙な変化や造形を楽しみながら撮影してこそ、素晴らしい作品と健康を手にすることが出来るのだと思います。野山を歩いての花を中心とした撮影は、足腰がしっかりしている限り続けられるのですから、まずは健康増進を第一にして、自然の恵みに感謝しながら楽しんで撮影しましょう。
■自然の微妙な変化を味わう楽しさ
毎週末のようにフィールドへ足を運んでいると、狭い小規模な緑地や公園でも、四季折々に自然が微妙な変化をしながら巡っていることに気づくはずである。二十四節気という季節の単位が実感として理解できることでしょう。そんな自然の大いなる摂理の中に、様々な花が咲き各種の小動物が生息し、そして自分がいると感じることはとても素晴らしいことのように感じます。そして前述したように、この自然の四季の微妙な変化や造形の美しさを味わってこそ、始めて素晴らしい写真が撮れるようになるのだと思います。だから、初めはとても稚拙な写真しか撮影できなくとも、がっかりすることはありません。そのうちきっと素晴らしい写真が撮れるようになるでしょう。このようなことからも、他のフィールドや被写体への目移りがするかと思いますが、同じフィールドへ最低二週間に一回は定期的に通ってみましょう。
■知識が広がる楽しさ
写真の腕を上げるのには、とりあえず巡り会った花は写して見ましょう。初めから満足するものが撮影できなくとも、氓ノその花に巡り会った時、最初に写したものより良いものを撮ろうとするものです。また、最初に一応の満足が得られたとしても、次にその花に巡り会った時、今度は違う角度から撮影しようとするでしょう。また、撮影した花は現像が出来上がったら図鑑を開いて名前を覚えるのはもちろんですが、原産地や生態、名前の由来や花言葉、食べられるか食べられないか、また、百科事典などを開いて、その花が歌われている俳句や短歌、その花と文化や風俗との関係なども一読すると、よりもっと写した花に対する親しみが生まれてくると思います。それが次にその花に巡り会った時に、より素晴らしい作品を生み出すことに繋がるのだと思います。また、そうでなくとも花を通して色々の知識が増えて行くことが、一つの楽しみとなるでしょう。美しい園芸品植物の花ばかりでなく、今まで見過ごして来た路傍の花にも積極的にカメラを向けてみましょう。このように一口に花の写真と言っても様々な楽しみ方があるように思われます。最初の内は各種の戸惑いや疑念が生じると思いますが、続けて行くに従って、各人それぞれの花への接し方や写真のスタイルが出来上がると思います。
■花を求めての旅行の楽しさ
花の傑作写真をものにするには、作品にする目、作品にする腕さえあれば何処でも良いのですが、前述したように通い慣れた所が一番です。しかし、より多くの花に巡り会うためにより多くの場所に足を運ぶことも必要です。従って定期的に通うことに決めたフィールド行きの合間に、色々の場所を訪ね歩いてみましょう。例えば梅の撮影なら、今年は古都鎌倉と小田原の曽我梅林、来年は水戸の偕楽園と越生梅林といった具合です。また、身近な自然や植物園ではなかなかお目にかかれない花を求めての旅も楽しいものです。かつてセツブンソウを求めて栃木県栃木市星野まで行ったことがあります。何と自宅から往復合計8時間もかかる遠い場所です。駅を降りて一時間に一本あるかないかのバスに乗るためにバス停に赴くと、平日にも関わらずカメラザックを背負い、三脚を抱えたご婦人がたくさん並んでいました。ほとんどの方がとても小さなキンポウゲ科の春を告げるセツブンソウに会いに行く方々でした。このように花を撮影するという目的があるからこそ、多くの場所に楽しく旅することが出来るのだと思います。花を求めての小さな旅は、ただ単なる名所旧跡を訪ねる旅行会社のお仕着せの旅行ではなくて、名所旧跡をもふまえた自分だけのオリジナルなとっても贅沢な旅行となるでしょう。また、通勤や買い物の途中などに、緑地や公園、花がたくさん植えられている家を繋いで、自分だけの花の散歩道をつくって、毎日のように散歩するのも楽しいものです。
■同好者と巡り合う楽しさ
決まったフィールドヘ定期的に通っていると、たくさんの同好メに巡り会うことが出来ます。花の写真が好きな方はもちろんですが、鳥や昆虫や風景といった写真を撮影に来ている方も多いと思います。それらの方々とのフィールドでの会話はとても楽しいものです。また、自分の知らない分野や撮影技術などについて、数々の実体験に基づいた有益な話が聞けることでしょう。また、一人ではなかなか出来ない、そのフィールドだけに的を絞った四季の自然をテーマとした写真集や写真展、インターネットでのホームページ開設など、みんなで力を合わせて開くことも可能です。そして、このような地道な活動があってこそ、急速に失われつつある身近な自然を守ることに、ほんの僅かかもしれませんが寄与することができるかもしれません。
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第2章・・・四季の花を撮る
第3章・・・見応えのある作品作り
第4章・・・レンズの特長をつかんで撮り分ける
第5章・・・撮影モードと絞りの効果
第6章・・・測光方式と露出補正
第7章・・・花の撮影の実際
第8章・・・どんな機材が良いのだろう
第9章・・・あると便利なアクセサリー
第10章・・・撮影後の整理と楽しみ